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幸せを決める方向性;時の番人

幸せの法則を見つけたように思う。あるルール化を行い、そこで得られる共感する出来事、ルール化されたことにより善悪が明確になり、それに伴ってよしあしがあることによって、幸せを決定することができる、というもの

さらには、似たルール下があると、それについて幸せを感じやすい、共感しやすくなるということも挙げられる。

例えば、サッカーでは、ルール化されており、そこでによしあしは、複雑ではあるが、ある程度共感できるプレイがあり、ある目的にそって、幸せを決定しているともいえる。サッカーを通じて幸せにあることもでき、ある法則に則って多数のひとがそれによって、幸福になることがあり得るように、そうしたルールや方向性を定めることができれば、ある技術も、才能も身につきかつ、幸せになることができる条件が見え隠れする。

そのルールづくりと方向性のための条件は以下の通りであることがわかる。

1.多数のひとがルールを理解できるものである
2.方向性や、目的、ルールが明確化されているというもの
3.似たルールならば、他のルールについても共感しやすくなる
4.善悪がルール化によって、ほとんど明確になっている

逆に言えば、これが行われていないと幸せが感じにくく、共感もしにしにくいということになる。

1.多数のひとが理解できないルールである
2.方向性や、目的、ルールが曖昧である
3.異なるルールである場合には、共感しにくい
4.善悪がルール化されてないため、ほとんど良いか悪いかわからない

エントロピーというものがある。
これは熱力学の話だが、これはエントロピーの増大の方向に未来があるという説がある。
つまり、未来の方向性は、情報量の複雑さが決めるということである。ここで問題とされるのは、幸せの方向性を決めることが、しいては、未来の幸せを決定することであり、その未来の幸せを決定づけることは、将来的に、幸せになる確率を高めるということになる。ミクロの世界で見ればそれは当たり前の話かもしれない。こんな名言がある。チャップリンの言葉だ。

‘‘人生は、近くでみれば、悲劇、遠くからみれば喜劇‘‘
ーーーチャップリンーーー

これは以前紹介した成功と幸福の法則の答えから導き出せる答えでもある。
なぜなら、有限に取り扱う場合、あの記事から引用すると、一つの失敗から学びつつも、幸せとは何か考える方がよいという結論があった。
逆に、ひとつの成功を追い求め、不幸を論じるべきではないという結論でもある。それは、幸せな家庭は、法則が一つであり、成功の法則は、無数であったからだった。ある意味で、ひとのよっては、ルール化すること自体が、不幸の発端であり、そのルールに縛られることを意味することが、不幸を招いているとも考えるだろう。しかし実際には、ルール化することのない世界は、常に、マクロからみて、単純であると、熱力学からいえることであり、対称的であるということだからだ。このチャップリンの言葉からわかるのは、マクロな視点からは、喜劇であり、対称的に分けられるということを意味し、ある種、単純な美学に則しているということになる。
しかし問題は、ミクロな視点があって、それは対称的ではなく、悲劇であり、答えとしては有限に取り扱う場合には、ルール化する方が、一つの失敗から学び、皆が一つの幸せについて語る方がよいということになる。

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