デザインとアート 非言語性と言語性
さて、今回お話しするのがロジカルシンキング、デザイン思考のカテゴリーと、ラテラルシンキング、アート思考のカテゴリーだ。
この二つは、実は、置いてきぼりにする理詰めと(非言語で孤独な実行者)、置いてきぼりにしない会話(言語で団結する者たち)にわかれる。
デザイン思考とは、そもそも、誰でもわかる形したものであるから、それは、説得する際に用いるものであるともいえる。なので、ビジネスにもってこいな思考だ。
かたや、ラテラルシンキング、アート思考とは、最近ビジネスに取り入れないといけないと、流行っている内容だ。なので、ビジネスには、まだ、参入の余地があると言える考え方だ。
さて、なぜ、置いてきぼりにする理詰めと、置いてきぼりにしない会話がある、といったのだろうか。
それは、ロジカル、デザイン思考が、あくまで、目的というものがはっきりしていてい、逆算思考で、孤独に実行するのみ、というような特徴があり、そもそも、置いてきぼりにする理詰めな、特徴があるのに対して、置いてきぼりにしない会話が、ラテラル、アート思考にあるからだ。というか、この置いてきぼりにする、しない、ということが、そもそも、その思考を高めるからであるから、必要といえるのである。ではなぜ、理詰めで、ロジカル、デザイン思考が、置いてきぼりにするものであり、会話あり、ラテラル、アート思考が、置いてきぼりにしないものなのかが、ここで、問題とされる。
具体例を出そう。
片付けを例に取ると、片付けるという目的がある。これは、デザイン思考で片付けられそうだ。目的がはっきりしており、それにそって、問題があるから、その解決策を講じ、その解決策を実行することによって、逆算から、片付いていくわけであるから。
ここで問題なのが,目的がはっきりしている場合、することもハッキリするものであるから、孤独に黙って実行するのみ、となりえる。
違う例もだそう。
今度は、クイズのようなものをするということにした場合、皆、未知な問題をするわけだ。
すると、それをみんなで、ラテラルシンキングで解決しようと試み、アート思考によって、それを会話に盛り込み、知性ある答えを証明していこうとするわけだ。
この2つの事例からすると、前者は、既知の割合が多く、後者は、未知の割合が多いということになる。また、わかりきった目的とそこから、逆算し、解決策を講じるということは、デザイン思考ででき、黙々と1人でできるはずのことが多い。対して、目的がなく、そこから、逆算さえできず、皆(2人以上)が、知恵を振り絞って、その問題に答えを出すということは、もはや、アート思考であるといえる。