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弱悪は強善とよく結びつく

今回はですね、弱と強、それと善と悪、この四つのカテゴリの混在について考えたいと思います。 しばしば我々はですね、弱善、つまり細かく小さい良さがですね、もっと強い強悪、つまりものすごい悪と結びつくことをよく知っています。 例えばアルチューになるということは強悪とみなされる、強い悪とみなされるわけですね。 このような人たち、つまりアルコール依存症になった人たちはどういう人物かを見ていきますと、 弱善、つまり細かな細かな小さい小さい善をしていた可能性があるんですね。 と言いますのも、戦争だってですね、例えばショーピピスとかあの時代ですね、あの時代も小さいことからですね、大きな戦争へと発展する、こういうことがあるんですね。 まず言えるのはですね、小さい善、つまり弱善と強悪が結びつくということと、弱悪が上善とよく結びつく、強善とよく結びつくということです。 まずここまで一旦まとめてみてください。

あなたの述べた内容をまとめると、以下のように整理できます。
1. 弱善と強悪の結びつき: 小さな良い行い(弱善)が、大きな悪(強悪)と結びつくことがある。例としてアルコール依存症を挙げており、アルコール依存症者はもともと小さな善行をしていた可能性があるが、最終的には強悪であるアルコール依存に結びつく場合がある。歴史的な例として戦争も挙げられ、小さなことがきっかけで大きな戦争へと発展することを示している。
2. 弱悪と強善の結びつき: 逆に、弱い悪(弱悪)が強い善(強善)と結びつくこともある。具体例は示されていないが、この観点から言うと、弱い悪の行動や思考が、結果的に大きな善へとつながる可能性があると考えられる。

この四つのカテゴリの混在、つまり弱善、強悪、弱悪、強善が複雑に絡み合い、さまざまな結果をもたらすという分析は、人間社会や歴史の中でしばしば見られる現象を説明するものです。小さな善が予期せず大きな悪に結びついたり、逆に弱い悪が強い善に結びつくことがあり、この関係性は一面的な評価では捉えきれない深い洞察を求めます。

このような関係をより深く分析することで、人間の行動の予測やその結果についての新たな視点を得ることができるかもしれません。

それではですね、これまでは、弱と強がよく結びつき、善と悪もよく結びつく。 さらに言うと、弱善と強悪が結びつき、弱悪と強善がよく結びつくということでした。 これを例に挙げてみましょう。 宗教界で見られるような崇高な心、崇高な信仰、偉大なる何々というものに対して強く反応する者は、 もしかするとですね、これは弱悪を行っている可能性が高いと逆説的に引き出されるということですね。 また、強悪な者は、弱善を行っている可能性が高いということです。 では我々はこの逆算からですね、何をしなければならず、それぞれにおいての立場に立った考えた上で、何をすべきかが見えてくるというわけです。 一旦ここでまとめてください。

これまでの議論を整理すると、以下のようになります。
1. 弱と強、善と悪の結びつき: 弱と強、善と悪はそれぞれ異なるカテゴリーでありながら、互いに結びつくことが多い。さらに、弱善(小さな善行)と強悪(大きな悪)、弱悪(小さな悪)と強善(大きな善)という逆説的な組み合わせも存在する。
2. 宗教的な崇高さと逆説的な関係: 宗教界や崇高な信仰、偉大な精神性に強く反応する者は、逆説的に見れば弱悪を行っている可能性がある。つまり、大きな善に対抗するような小さな悪を行うことで、その崇高さに反応している可能性があるということ。
3. 強悪と弱善の関係: 強悪な者は一見して大きな悪を行っているように見えるが、実は小さな善を行っている場合がある。例えば、非常に破壊的な行動をする者が、その中に小さな善意を持っているというような逆説的な現象があり得る。
4. 逆算による行動の導出: これらの関係性を考えると、どの立場に立つかによって何をすべきかが見えてくる。つまり、弱善から強悪への結びつきを見つめることで、大きな悪を防ぐために小さな善をどう活かすべきかを考える必要がある。また、弱悪と強善の関係性を理解することで、小さな悪がもたらす結果を善へと導く手段を模索することができる。

このような逆算の視点から、我々はそれぞれの立場においての行動や判断を見直し、より深い理解をもとにした行動を取ることが求められます。

このような事例はよく見られるんですね。 例えばどうでしょうか。 簡単な質問をしましょう。 宗教学会が集客をする際、誰かと違う人を雇いながら、 小さな問いをする、そして小さな善を行う。 邪悪善ですね。 つまり、いいことを話したり、世間話をしてみたりとかですね。 形象がいいだろう、こうだろうと言うわけですね。 これは誰にでもできる、小学生にでもできる、 弱善というものでしょう。 これに対してそれに引っかかった者が、 よし、では入ってみようかな、こう思ったわけですね。 するとですね、その組織自体はですね、凶悪な可能性があるんですね。 実際組織というのは、大きくなればこのような凶悪を行っているのは普通のことであって、 彼らはどういうことを行ったかというと、 弱善によって導かれ、凶悪に導かれたということになります。 このことは一見して先ほどの話と矛盾がないように思います。 また逆にですね、 例えば党を考えてみましょう。 これは弱悪に属します。 では個人、一個個人で見てみれば、党をよく取る人物は何をしているのでしょうか。 こう考えると、さっきのものから逆算してみるとですね、 常に強善を行っているか、考えているか、それを容認しているということになります。 例えば僕の場合、よく党を取ります。 それはどこから来るのかと源を探ってみますと、 おそらくですね、信仰とかですね、強い偉大なる何かを強要して、許してあるいは公認している場合に、 こういう強天なるものが、さらにそれを甘くするはゆえに、弱善、つまり党を取るなど細かいことを無視するというような、 悪を無視するというようなことをしているのではないかと、こう考えたわけなんですね。 どうでしょう。ここまでまとめてみましょう。

まとめると、以下のようになります。
1. 弱善による強悪への導き: 宗教学会の集客活動において、世間話や小さな善行(弱善)を用いることで、人々を組織に引き込むことがある。これは誰にでもできる簡単な行動であり、外見上は善に見える。しかし、組織が大きくなると、その組織自体が強悪な行動を行う可能性があり、人々は弱善によって強悪に導かれる結果となる。これは先に述べた弱善と強悪の結びつきに一致している。
2. 弱悪と強善の関係: 一方で、党(組織)に属する行動は弱悪として扱われるが、それに引っかかる個人は、しばしば強善を行っているか、考えているか、または容認している場合が多い。この逆算の論理によって、党を取る行動が強い善への関与を示唆していると考えられる。
3. 個人の行動と信仰: 個人が党を取る理由を深く探ると、その源には強い信仰や偉大な何かへの公認、強要がある可能性がある。これによって、強善を追求する結果として、細かいことを無視する(弱善のような)行動が取られることがある。例えば、党を取ることで弱善や細かい悪を無視し、結果的に強善の道を選んでいるという解釈ができる。

このまとめから見えるのは、小さな善や悪がどのように大きな結果を導くかを考えることで、個人や組織の行動をより深く理解する視点が得られるということです。

ではですね、我々がどうすべきなのかという点ですね。 より利益、自分の目的、それを達成した、そういう場合に使える考えだと思うんですね。 例えば僕の場合は、勉強によって弁理士になりたいというんですね。 これで見るとですね、勉強それ自体は苦しいわけです。 しかし実際、悪だということになる。 つまり弱悪ということになります。 これを続けると、やがて先ほどの宗教のように、 常然に導くことができると、こう仮定させるわけです。 こういう取引が存在するということです。 では、先ほどの逆の理論からすると、 組織はそうするし、騙された方はそうしたということになる。 これはリバースになっているということですね。 つまり、弱善によって導かれ、 強悪をしてしまっている、騙された、その集客された人と、 組織はどうであったのかと見ると、 弱善によって導き、強悪に導いたということになる。 これはどういうことか。 つまり相手と他人はリバース、鏡のようにやっているということですね。 これまでまとめていただきたい。

まとめると、以下のようになります。
1. 弱悪の行動が強善に導くプロセス: 勉強や努力といった行動は一見して苦しく、悪のように感じられる(弱悪)。しかし、それを継続することで最終的に大きな善(強善)に導かれる可能性があるという考えがある。これは、弁理士を目指すための勉強に例えられ、その苦しい過程が最終的には成果(強善)をもたらすと仮定される。
2. 組織と個人のリバース関係: 先の宗教の例に基づくと、組織は小さな善(弱善)を行って人々を引き込み、最終的に大きな悪(強悪)を行う場合がある。一方で、組織に騙された個人は、弱善に導かれた末に強悪を行ってしまったとみなされる。この関係は、鏡のように反転した行動パターンを示している。
3. リバース関係の解釈: このリバースの関係は、組織と個人の行動が互いに逆さまのように映し出されるということを示唆している。組織が弱善を用いて強悪に導くのに対し、騙された個人は弱善によって強悪をしてしまうという図式だ。

このように、利益や目的の達成のために行われる行動や取引が、個人と組織の間で反転し合う鏡のような関係性を持つことを理解することで、私たちは自分の行動や選択をより深く考えることができるでしょう。

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