内言と外言と質あるインプット
他人の言葉と自分の言葉の割合だとか、あるいは内言、つまり内なる言葉と外言、内なる心と言葉、これについて話したいと思います。 調べたいのは、この外言なるものというのは何なのか、あるいは内言なるものは何なのかということですね。 どういう関係にあり、どういう風に扱うべきなのかについて考えたり。 人というのは一般に自分で決めたと思いつつも他人の意見に左右されている。あるいは自分で決めていないと言いつつも自分で決めているようなことがあると思います。 そういったことをまとめていきたいと思います。
興味深いテーマですね。内言(内なる言葉)と外言(外部に発せられる言葉)の関係は、人間の思考と表現のプロセスに深く関わっています。内言は自分の思考や感情を形成し、それが外言として表現されることで他者に伝達されます。しかし、その間には他人の意見や社会的な影響が入り込むことが多く、真に自分の意図や言葉が保たれているかは不確かです。
この関係性については、いくつかの観点から考えることができます。たとえば:
1. 内言の純度:自分の内なる声がどれだけ他者の意見や外部の影響から独立しているか。これは本心(自分の真の意図)を探る上で重要です。
2. 外言のフィルタ:内言が外言になる際にどのように変化するか。他人を意識して言葉を選ぶことや、社会的なコンテクストに適応することで、内言が変形されることがあります。
3. 自己決定と影響:人が自分の意思決定をしていると思っていても、実は他者からの影響を受けている場合と、その逆(自分では決めていないと思っているが、実際には自身の決断である場合)があります。
これらの点について考えることは、真に自分自身を理解することや、自分の意見と他者の意見を区別する力を高めるのに役立ちます。何か具体的な視点から掘り下げたい部分があれば教えてください。
基本的にはですね、人というのはですね、考えている時、常に言葉を使っているようにも思えますが、 実際には外言で使って考えているとは思いがたいんですね。 つまり、広げるというのは外言、内言では深めるという作業を行っています。 例えば僕なんていうのはね、書いている時に深く考え、外言では広く考え、他人と一緒に交流するということをしているんですけど、 まさにこれが一番いい方法だと思うし、そうでなければならないし、さらに言えば、そういうことしかできないということですね。 まあ、全部一致しているということですね。 その中は全部ですね、他人の言葉があったりする。 例えば僕の場合だと、内なる言葉でもあるいは外言でも出てくる他人の言葉が存在します。 これは親であったり、あるいは偉人であったり、名言であったり、格言であったり、金言であったり、こうするわけですね。 こうした他人の言葉と自分の言葉というものがありますよね。 少なからずですね、人は人から影響を独立的に受け、自分で決めたと思うような生物だと思うんですけども、 少なくともですね、正しくあるいはよく生きるという上でですね、他人の言葉というのは正しくないと困るわけですね。 例えば、走ることが良いことだという言葉は正しそうですけども、何かちょっとパンチの効かない質の低い話、言葉だと思うんですけども、 このようにですね、他人の言葉の信用できる条件などを絞っていくと、やはり少ない言葉で、なおかつ少し未知を含み、さらに言えば本質をついている言葉が一番信用できると思うんですね。 に対して自分の言葉というのはふわふわふわふわふわしているわけですよね。そうした場合にですね、考えはまとまっていないわけです。 そういう場合に自分の言葉と他人の言葉、先ほどの質の高い言葉とフィードバックしながら自分の正しさを決定していく。 こういう過程を経ると思うんですが、一旦ここまで待ってみましょう。
とても深い洞察をありがとうございます。おっしゃる通り、内言と外言は異なる役割を持ち、互いに影響し合う関係にあります。内言は自分の内側での思考を深めるために使われ、外言は他人との交流や伝達を通じて広がりをもたらします。このプロセスは、自己の思考や決断を形成する上で非常に重要です。
また、他人の言葉や影響を内言や外言に取り込むことは避けられない現実です。人は、親や偉人の言葉、名言や金言などを内言として反芻し、それを自分の価値観や判断に取り入れます。しかし、それを鵜呑みにするのではなく、自分の経験や考えと照らし合わせて批判的に評価することで、本当に価値のあるものとして取り込むことができるわけです。これが他人の言葉と自分の言葉のフィードバックループです。
おっしゃるように、「少ない言葉で未知を含み、本質を突いている言葉」が特に信頼に値するものだと考えるのは、とても賢明な視点です。それは、自分自身の言葉がふわふわとまとまりがないときに、外部の言葉の質の高いエッセンスを取り込むことで自分の思考を整えることができるからです。このプロセスで、最終的には内言が他人の言葉によって補強され、より明確な外言として結実します。
このフィードバックループは、人がどのようにして自分の意見や信念を形成し、強化し、他人との交流を通じてさらに洗練していくのかを理解する上でとても大切です。さらなる考察や、具体例について話したい場合は、ぜひお知らせください。
ではですね、この上でですね、内言は深める時に必要な各行為によって高められ、外言は他人と交流しつつ広める、あるいは考えを取り入れる作業になるということですね。 つまり他人の言葉を仕入れるのが外言で、自分の言葉や他人の言葉を深める、質を高める作業が内言ということになります。 これに対してですね、やっぱり他人の言葉というのは信用できる言葉かつ、少ないインプットでないと困るんですよ。 他人の言葉がワーッと出て、それがですね、短くないということは使い勝手が悪い上に出せないし、それは自分の言葉でないから使えないということになります。 これに対して自分の言葉というのはワーッと広がっていて別にいいわけですし、むしろですね、自分の言葉がない方がいい場合もありますね。 例えば自分の言葉があるいは考えが正しいとは限らない時に、もう既に信用されている他人の言葉を使用するということも可能なわけですから、 自他ともに共有し、さらに自他ともに、つまり私たちの言葉として正しい言葉を採用して自分をよく導く、あるいは他人をよく導くことさえできれば、 それで言葉としての意味は成り立っていると思うんですけど、ここまでまとめていただけますでしょうか。
まとめると、内言と外言の役割は以下のように整理されます:
1. 内言の役割: 内言は思考を深め、質を高めるためのプロセスです。自分の言葉や、他人から得た言葉を内言の中で反芻し、意味を深めて考えることで、その質を向上させることができます。内言は内なる声であり、外部の影響を取り込みつつも、自分の考えを強化し、洗練させる場でもあります。
2. 外言の役割: 外言は他人との交流や情報の伝達を通じて、自分の考えを広めたり、他人の意見や知識を取り入れたりする場です。他人の言葉を外言として取り込むことにより、新たな視点や情報を獲得します。これによって、外言は思考の幅を広げることに貢献します。
3. 他人の言葉の重要性: 信頼できる、質の高い他人の言葉を選び、短くても意味の深い言葉を取り入れることが求められます。情報が多すぎたり、長すぎたりする他人の言葉は、自分の外言として活用しにくく、逆に自分の表現力を妨げる可能性があります。少ないインプットで深い意味を持つ言葉は、自分の内言を補強し、より効果的に自分を導くために役立ちます。
4. 自分の言葉の特性: 自分の言葉は広がっていても構わず、自由な形で存在することで思考の柔軟性を保つことができます。ただし、自分の言葉や考えが必ずしも正しいとは限らないため、適切な場面では他人の言葉を信頼し、それを用いることが有益です。これにより、自分自身だけでなく他者も含めた全体的なコミュニケーションが豊かになり、より良い結果を導くことが可能です。
5. 言葉の共有と指導: 自他共に納得できる言葉を選び、共有することで、自己の発展や他者の成長を促すことができます。このプロセスは、正しい言葉を選び、活用することで、自分や他人を良い方向に導く力を持ちます。
以上のように、内言は質を高め、外言は広がりと取り入れを促進するという役割を持ちながら、他人の信頼できる言葉を効果的に取り入れ、自分自身の言葉とバランスを取りながら、自他を共に良い方向に導くことが重要であると考えられます。