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関係性を紐解くⅠ

関係性を想像力で繋ぎ止める
==カオスな日常==

カオスは、関係性そのものであり、関係性は、人生を含んでいるというある数学者の言葉がある。

これにちなんで考えを展開していこうと思う。
ここでは、連続と、不連続というものを結ぶものが、もっとも力が入り、もっとも信念を必要とする。

物理的にいえば例えば、連続で、微分可能である場合における滑らかな坂道に、ひとつの意志を静かに解き放つということを考えると、そこにあらい斜面がない限りにおいて、慣性の法則で、その位置エネルギーと、運動エネルギーは、同値になるだろう。

これを題して、考えると、そもそも分断されているというカテゴリーがあり、それを便利なツールとして、知識のように扱うこともできる。
この連続という概念を使い、動画なるものの記憶と、想像力による意志ある架空の歴史を作り上げることもできるだろう。

例えば、ただよびというチャンネルがある。これは、質的に網羅性があることの前提に、1話1話を観てゆく。
その上で、前回までのあらすじを極力、努力せずに、この意志のある連続体として捉えることがそれである。
これは、もはや、仮想な科学の歴史である。ついぞ私は、歴史を分断されたもののように扱ってきた。

聞かれたら、その脳裏にあるページを開き出して、そのことが書かれているところから指し示し、答えるというようなことが、歴史を学んだことの証明としてきたところがある。

この歴史的な学習の結果は、先ほど述べた、便利なツールでもあるだろう。
ここで、ひとつ問題がある。
歴史的に分断された記憶、つまり、不連続で、そして曖昧になってゆく記憶が、存在するという点だ。
このことは、先ほどの慣性の法則が、単純に成り立たない、あらい斜面となり、連続であったそれまでの斜面を否定するように、分断され、不連続に扱われ、強いては、支離滅裂で、記憶できていないものになる。
ひとはこれをうるおぼえである、ということだろう。

ここでひとつ、この慣性の法則と、歴史のツール、そして,今から紹介するような哲学的な分断されたツールを、うまくあの“前回までのあらすじを頭の中で一旦再現するということに還元できはしないかと考えたのである。
ここに、物事の連続と、分断、そして、関係性を複雑に保つ方法が見あたるのではないか、ときたいされる。

便利な思考のツールとして、候補に挙がるのは、哲学、歴史などといった一見して科学に関係のないようなことがある。

この便利なツールの特徴といえば、星新一のようなSF小説における分断、不連続性がある。彼の作品を読めば,主張や、意見といったものを読者に徹底的に預け、自分が主張したいもののみを表現している点があり、ひとつの便利な思考のツールとして存在する。

また、さきほどの脳内で歴史のログがあるようなものを頭の中で検索するというようなことも、ひとつの便利なツールであるといえるだろう。
ここでひとつ応用例を持ち出そう。

動画というものが、1話1話、連続性を持たないという前提があるとし、その1話1話に、連続性を持たせるように、歴史的な観点を用いるのである。
この方法としては、観て、そして、次の動画を観るまでに、“前回までのあらすじ”を頭の中で再現するというようなことをするわけである。
ここに、慣性の法則を効かせるためには、なめらかな連続である斜面がなければならず、それが条件になり、少しでもあらい不連続な斜面があるということは、単純な歴史、慣性の法則が成り立ち得ないということになる。

ひとつ一つの動画、その斜面の一点一点を表現しているとし、そうした点の集まりが、連続である滑らかな斜面を形成していると考え、そこに、架空の想像上のあらすじを歴史的に慣性の法則で、連続的に力を伝えることができれば、それによって、努力は,要らない、自然な記憶になるということができるだろう。

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