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非言語のための言語化

〈ある種の言語を持ったひと〉

さあ、帰納的な話を好んでいるひと向けて、帰納的な話をしたいと思う。
要は、一般的な話のことだ。

私は、究極の英単語12000語を覚えようとしいてるところだ。というのも、ネイティブに必要な英単語は、大体12000から、多くとも、35000語であり、最低12000語は、必要になるからである。確かに、受験期に6000語必要だとされ、覚えた記憶があるが、必読英単語などの例をとれば、nurseにイングをつけたnursingという単語は、必読英単語には、変化系であり、それを覚える必要がないとされていたが、アルクの究極英単語には、それがあり、そうした変化系も含めて、12000語であることを想定した場合、必読英単語・入門英単語・上級英単語・熟語の6000語は、アルク究極の英単語12000の8000語に相当する。
従って、6000語覚えたということは、アルクの究極英単語8000語に相当するということだ。
従って、残る4000語を覚えるだけだということになる。

〈より具体的な話〉

さて、以前言っていた95%の非言語要素が、ほぼ、表面化に現れていない要素であるということだった。確かにそうであるとしても、確かめようがないとうことに気づく。
すると、どうしたらその表面下に現れない状況に、終止符を打つのかというと、やはり、「そうしたことにも、言語化していくことが大切であるということ」なのだろう。
非言語中の非言語といえば、数学や、科学といった、1人でただ、教科書を学んでいる状態においても、これは、効果的だ。
なぜなら、言語を使うということは、帰納的に一般化された言葉を使うということであり、誰もがわかる言葉にしているということなのだ。
その話の例としては、聖書を読んだら、ひとによって、見方が違い、ストーリーの描き方が、ひとによって、異なる、というのがある。
それは、別に、聖書に限ったことではない。
数学や、科学の教材でも同じことが起きるのだ。そこに、帰納的言語が、効いてくるのである。

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