内的報酬と外的報酬をうまく結びつけるテクニック
〈外的報酬をつくろう〉
本来の意味での外的報酬とは以下の通りの意味になる。
“外的報酬とは、給料や昇給、昇進・昇格といった金銭・地位といった具体的報酬一方、内的報酬とは、成長・やりがい・充実といった精神的報酬である。”
しかしどうだろう。
これだけだと、使えなくないですか?
この不便さから、外的報酬なるものつろうと考えました。
〈外的報酬づくりのための基礎概念〉
外的報酬と対になるのが、内的報酬です。
しかし、よく考えると、どちらもセットで普通行われているように思う。
例えば、学校で、勉強をひとりするとき、やりがいを持ってやることがあって、先生に、それをテストで、誉めれたなんてことがある、とします。
すると、勉強をひとりするやりがいが、内的報酬であり、先生に褒められたが、外的報酬にあたる。
このようなことはセットで行われていることがほとんどである。
しかしどうでしょう。
何か使いにくくなっているし、「で、どうした?」という問いになりかねない!
そこで、提唱するのが、次のような意訳です。外的報酬は、
「それは、“どこ”にあるの?」
という問いに答えるのがひとつの外的報酬の証明になるということだ。
この“どこ”にあるのか?
という問いに答えた場面を考えてみよう。
例えば、仕事で、あなたなできると言ったが、“どこ”にそれがあるのですか?
その問いに対して、成果として、ミスなく、平均以上の速度で仕事できているという客観的な“モノ”のように、リストをみせた。
ということが挙げられる。
つまり、外的報酬なるものは、より具体的な成果物や、“モノ”の証明を意味するところが重要なところとなる。
〈外的報酬を作る上での例外〉
ところで、知識に意味を与えるのが、哲学であるといえるが、例外的に、意味を始めの方は、与えない方がいいというものがある。
それは、理系であるといえる。
確かに、文系、理系といった枠組みを超えて、いえば、知識が多く、知識以外にできるという核心を得られないものには、意味を与える方が得策である場合がある。
しかし、例外的に、学術において、始めの方は、意味を付与しない方がいい科目があるということだ。
それは、知識以外に、できるという核心を得られる数学といったものには、意味を始めの方は、与えない方がいいというものになる。なぜなら、先ほどの“どこ”にあるの?という問いに、できるという証明をすること自体を学習の一環に取り込まれているからであり、逆に意味を始めから付与すると、本末転倒になることがあり、客観的なモノがすでにあるがゆえに、逆に、意味が邪魔になってくることさえあるからだ。
〈外的報酬をつくるには〉
どこにあるのか?
この問いに常に答える癖をつけること、そして、その証明を怠らないこと、あるいは、少なくて良いので、その証明することを増やしていくことが、外的報酬につながる。