『感覚は道標』セルフライナーノーツ
happy turn
くるりオリジナル・メンバーの3人には、1990年代オルタナティヴ・ロック以外にも、音楽的に共通する参照点が幾つかある。
くるり結成前後は、3人とも古典R&Bやブルース、ファンクなんかを好んで聴いたり、演奏していた。
もっと若い頃には、1980年代ポップの影響も受けていただろうし、ビートルズやフー、ローリング・ストーンズをはじめとする1960年代ブリティッシュ・ロックは3人共通の大きなリファレンスである。
くるりはそもそもシンプルなロック・トリオなので、バンドのジャム・セッションからたまたま出てきたアイデアを発展させて、楽曲に仕上げていくことが少なくない。
『感覚は道標』に入っているすべての楽曲は、バンドのジャム・セッションで出たアイデアを発展させながら構築していったものである。
ある日のジャム・セッション。ストーンズ風のギターリフを冗談半分で弾いていたら、ザ・フーのようなリズムが入ってきた。
私は即座にメロディを作り、初期ビートルズ風のブリッジをしたためながら、シンプルなギター・ソロを弾いた。
作曲には5分も掛からなかった。バンドでの曲作りは、手早さと条件反射がだいじ。
もっくんのドラムには、独特の雰囲気が宿る。アイデアも独特だけど、気分や感情が野生的というか、まさに感覚に導かれながら、ひと筆書きで楽曲の呼吸を描くときがある。
野生の人だから、決してロジカルで構築された楽曲にはならないけど、この手のものは直ぐにカタチになる。
学生時代に仲良かった友達。そういえば汚い下宿の部屋に住んでいた。その部屋に入り浸っていた頃の思い出と、その後疎遠になってしまったこと。そんなリリックを書いた。
斉藤和義さんの名曲『ずっと好きだった』は同窓会で再会した男女のトキメキの歌だけど、この歌は、モラトリアムと貧乏を共にした、そんな友達のことを思い歌った。
I'm really sleepy
自由なジャム・セッションから作曲していると、合理的、効率的とは言い難い構成に仕上がってしまうことがある。
何がどうなったかわからないけれど、この楽曲は世にも珍しい「Bメロ歌い出し」である。
私はビートルズっぽいモチーフを作ることが得意な方だけど、この楽曲においては三者三様に、ビートルズへのオマージュに勤しんでいた印象。
佐藤さんによるリズム編集のあと、鍵盤類やハーモニーなどのダビングを施したが、ビートルズやビートルズ・フォロワーであるジェフ・リン、あるいはXTC的な方向に行かないように、ジョージ・マーティンならどうするかな、クラシックやジャズのコンポーザーならどうするかな、という感じで作っていった。
リリックは、『happy turn』と地続きというか、友達なのにイライラしたり、身近な人なのに酷い態度をとってしまったりとかして、何を言っても話が通じないと怒りを通り越して眠たくなるよね、といったモチーフ。
朝顔
3人のなかで「禁じ手」のひとつだった、『ばらの花』的な何か、を即座に解禁し、瞬きする間に良い感じのトラックとメロディが出来上がった。
逆に、リリックを書くにあたっては、三度ほど書いてはボツ、を繰り返した楽曲でもある。
ポリリズムのピアノ・フレーズを、タイミングをずらしながら幾重にも重ねたり、テープ逆回転風のギター・ソロが入っていたり、八分音符ゴリ押しのベースだったり、全音符系のパッド(アコーディオン系生楽器だけど)が入っていたり、『ばらの花』オマージュが過ぎるけど、環境や録り音、私の声や年齢も当時とは違うから、全く別モノの肌触り。
リリックは、『感覚は道標』に入っている他の楽曲と同じく、「ここには居ない」、「かつて共に過ごした」存在についてのモチーフではあるものの、曲調もあいまって、なんとなく真顔というか、賢者モード。
California coconuts
アルバム『感覚は道標』の楽曲制作にあたって、何となく1990年代オルタナティヴ・ロック・マナーで行こう!という共通意識がバンド3人にあった。
この楽曲は少し先、2000年代US/UKインディー・ロック的なインスパイアからスタートしたものだったように思う。
vampire weekendやstrokesなんかの、エモさと暑苦しさ少し控えめ且つ、アナログ回帰的なイメージを拾い上げながら着想した。
くるりがやってそうでやってこなかった(やれなかった、のかも知れない)ことを、2000年代初頭には既にくるりを脱退していたもっくんとのトリオでサラッと実現した感覚は、かなり痛快な気分。
スタッフが何気なく発した「カリフォルニア・ココナッツ」という言葉から連想ゲームのようにリリックを書いた。
生きていれば、色んなことがある。
丁度この楽曲を作っているさなか、もっくんのお父さんが帰らぬ人となった。
私の母親も同じ頃、病気で入院していたこともあり、健康について、というよりは老いについて、自分たちの年齢や状況を鑑みながら、色々なことを考えた。
レコーディングは楽しく、音楽作りは夢中でやったけど、私たちバンド3人はもちろん、皆んな色々なことがある。
あと、同世代だけでなく、周りの色んな世代の人たちそれぞれ色々ある。
色々あり過ぎてしんどい人も少なくない。
しんどい時は、遠くの誰かのことはおろか、近くにいる誰かのことも、もしかしたら自分自身のことも、だいじになんてしてあげられないこともある。
この歌は、近くにいる人も、遠くにいる人も、とてもだいじなんだ、ということを思いながら、作った歌。
window
伊豆スタジオのメイン・ルームには大きな窓ガラスがある。
窓ガラスからは、芝生(人工芝だけど)の大きな庭と、広い空が見える。
都市部のスタジオには窓なんて無いから、すぐ息苦しくなるんだけど、このスタジオでレコーディングをしていると、自然と呼吸が整う。心にも窓辺があるということを、改めて思う。
スタジオは広くて旧い。スタジオの2階は大きな空間になっていて、そこに音を流し込むと天然のリヴァーブを録音することができる。
私はリヴァーブ大好きちゃんだから、この手の音を作ることにあれやこれや腐心するけど、このスタジオに来ればコレを作ることができる。そんな嬉しさと、とめどなく訪れる眠気との格闘、そして、なんだか不安で寂しい孤独への目覚めを歌った楽曲。
LV69
かつてドラクエ・フリークだった私は、オンラインになってからプレイしていない(Ⅹ以降)。いつかやらねば、と思ってから随分と月日が流れた。
ドラゴンクエスト・シリーズはとにかくしっかりと構築された物語と、ゲームのシステムが魅力的だけど、この楽曲はとにかくラフなモチーフに対して、思い付きで大胆なポスト・プロダクションを施した。
『感覚は道標』のセッションに入る前のメンバー・ミーティングで、「ブギーを演奏しよう」という打診をした。
私と佐藤は、多分アラフィフ・ミュージシャンのなかでは「ブギーの達人」だと自負する。
もっくんはこの手の楽曲でドラムを演奏すると、ハードロックやパンクのビートになる。
若い頃、このバンドは音楽的解釈の違いに起因したケンカが耐えなかったように思う。この年齢になると、ケンカをするわけにもいかないので、諦めて別の出口を探すか、ヤケクソになって演奏するしかない。そんな姿勢は、昔のレトロなバンドっぽい。
録音したベーシック・トラックは、オールドスクールでレトロなロックンロールになんだけど、原色の絵の具をぶっ掛けるようにポスト・プロダクションをしたおかげで、よく分からない曲になった。
レトロは未来と繋がっている。ディヴィッド・ボウイも、マーク・ボランも、ジミ・ヘンドリクスも、マイルス・デイヴィスもレトロな音楽を使って、未来を召喚していた。
ドラム、エレキベース、エレキギターのシンプルな演奏はレトロで最高だ。だが、それらを使って時代を超越し、未来を召喚するには魔法が必要だ。
錬金術なのか、黒魔術なのかは分からない。
最新のプラグイン・シンセとテクニカルなオーディオ編集、あるいは少しスピリチャリズムに寄せた主観的イメージへの集中力なのかは、わからないけど、この楽曲には魔法がかかった。
ドラゴンクエストも、魔法のような作品だ。
doraneco
レコーディング・セッションの舞台、伊豆スタジオから歩いて10分くらいのところに、「いがいが根」と呼ばれる断崖絶壁がある。その近辺は、太平洋に傾れ込んだ溶岩が冷え固まった台地で、海の際に荒々しい溶岩流の痕跡を遺している。
その辺りを散歩している時、どうにも頭のなかにメロディと、ハーモニー、そしてシンプルなリズムが鳴り止まなくなった。
スタジオに帰ってもずっと頭から鳴り止まなかったので、バンドでそれを具現化したのがこの楽曲である。
『感覚は道標』サウンド面において特徴的なトリクソン・ドラムの荒っぽい音色が、これでもかと大胆に響き渡るトラックになっている。
ブリッジも、コーラス(サビ)も無い構成。ヴァースのモチーフだけで、ここまで説得力を持たせることができるとは。いがいが根のパワースポットっぷりはすごい(中並)。
リリックは、他の楽曲と近いコンセプトだが、私が昔拾った飼い猫の、はるちゃん(昨年他界した)をモチーフに着想。ちなみに、はるちゃんは生後間もない頃、伊豆スタジオに連れてきたことがある。
彼とはわかり合えない仲だったが、彼がいなくなって寂しい。
馬鹿な脳
ブギー調の楽曲だが、リズムはスウィング、そしてギターリフは変則チューニング(DADGAD)のモチーフ。
くるり、や、私のことを「変態」と揶揄する声もあるが、それはこういうリズムのものを複雑やハーモニーで演奏するからだと思う。メロディは普通だと思う。
薄く入っているトレモロ気味のダビング・ギターが最初のモチーフ。エミット・ローズの楽曲にインスパイアされたもので、当初はもっとソフトなポップ・ソングにしようと思っていた。
激しくウネる佐藤さんのベースと相まって、キース・ムーン(私のフェイバリット・ドラマーでもある)的なもっくん十八番のドラム・フィルよろしく、ジャム・セッションしているうちにハード・バップ的な方向へ。
『朝顔』とこの楽曲だけ、リリックを書く際に何度か書き直した。どちらも、リズムが結構難しくて少し悩んだ。
たまたま読んでいた『脳の闇(著・中野信子)』という本から着想を得て、脳、そして気分についてのモチーフを広げながら書いた。
『感覚は道標』というタイトルに呼ばれて出てきたようなモチーフでもあり、そのテーマを司るのも邪魔するのも脳であるという、出オチみたいなコンセプトの楽曲。
世界はこのまま変わらない
ゼロから楽曲を生み出そう、という号令と共に始まったセッション。最初にどんな楽曲を手掛けるかで、その後の作業に大きく関わってくる。
クール・アンド・ザ・ギャング風のシンコペートしたリフは、盛り上がったジャム・セッションの産物だということを想像していただけるだろう。
コサ語による対旋律も、陰謀論や増税、不定愁訴を愚痴るリリックも、勢いから感覚的に出てきた適当の産物。
この楽曲には強さがある。音色も骨組みもそうだし、オリジナルくるり再始動1発目に向けて各々が「気負った」結果、なんか変だけど妙に感動的で、肉厚なものになった。
hello my friend世界はこのまま変わらない、君がいなければ。
このリリックは流れてしまうと、はぁそうですか、て感じだと思うので補足すると…。
①あなたは友達。あなたがそばに居るだけで、世界が違って見える。
とか、
②オマエと友達になれそうかも。多分オマエはこの世界を変えるくらい凄い。
とか、
③やっぱりあんたが居ないと締まらねぇわ。自分で気付いてる?
とか。
色んな解釈してみてね。
no cherry no deal
くるりはたびたび、1990年代オルタナティブ・ロックの要素を根幹に、楽曲を作り演奏している。
ただ、いわゆるパンク・ロック的なスタイルの演奏は若い頃にやめた。デカイ音はそもそも耳に悪いことが大きい。あとは、個人的にこのスタイルの演奏をしていることで、若い頃の射精行為にも似た、その場限りの暴力的な悦楽感情に支配されるからだ(これは年齢的なものもあるけど、性格的なものもデカい)。
この3人で集まると、若い頃のそんな記憶がこういった音も生み出してしまう。これは、かつてそうだった私たちにとって当然のことでもあった。このセッションは、あの頃の続きの世界線でもある。
青臭い反抗的態度とナルシシズム、甘美な悦楽とフェティシズムへの興奮、若さや少年性、少女性への異様な執着、そして、それらの裏側にある支配と暴力、罪悪感と現実逃避こそが、このリリックのテーマになっている。誰がモチーフになっているかわかるかな?
フェンダーさんからいただいた(ありがとうございます。。)マスター・ビルダーのテレキャスター・シンライン。ハムバッカー・サウンドは太く強い。久しぶりにパワー・コードでバッキングを弾いた。
お化けのピーナッツ
もっくんとのトリオ時代にやり残してしまっていたこと。
くるりは「色んな地域や時代のビート」を追求するバンドだということ。もっくん脱退後も、それはそれは色んなことやってきたし、外国にも飛びまくって色んなことやってきたけど、もっくんも幾つかの「土着のビート」を持っている。
サンバは勿論、というよりはラティーノ……カリプソ、サルサ、メレンゲのビート。ブラジルやキューバ音楽のテクスチュア。かつての日本歌謡にも、素晴らしい作編曲家や演奏家たちによって、それらのビートを馴染ませ取り入れられた。そしてそれらは現代のJPOPに至るまで、日本のポップス史を語るに外せない、重要なビートの要素になっていると私は考える。
堅苦しい話は置いといて、ずんぐりむっくりだが軽快なサモハン・キンポーよろしく、もっくん、佐藤、私のトリオによる、ビート・ミュージックの決定版がこの楽曲である。
演奏家にとっても、聴衆にとっても、踊れる音楽というものは至高の逸品である。この楽曲の出来はともかくとして……。
全てをポジティブに、自動運転のような爽快さと快活な笑顔、思った通りになる楽しい出来事、快活な日々こそが、私の夢そして理想だ。
これが私のポップの象徴、ピーナッツ。
うまくできない、どうせ私なんて、うまくやってる彼らが羨ましい、頑張ってることに意味があるよね、全てにおける後ろ向きな皮肉と停止しそうな思考。
これが私のコンプレックスの象徴、お化け。
In Your Life
高2の頃、1994年頃か。USオルタナティヴ・ロックの雄smashing pumpkinsは、ウジウジしながらエネルギーを撒き散らしていた私にとって希望の光みたいなバンドだった。
メンバー、あんまりカッコよくないし、なんか声も演奏も変だし、凶暴で粗雑な音と、美しいアンビエンス、そしてキャッチーな楽曲やアートワークが共存していた。
彼らのことが好きだった私と佐藤は意気投合し、その後バンドを組む。
彼らのお得意だったシンプルでメロディックなギター・リフは、形を変えながら私のオハコにもなった。ただ、ブルース・マナーのバンドをやってきた私にとっては甘過ぎるリフであり、なんとなく使い過ぎると安直な感じがするので、控えながらたまに使っていた。
私のフェンダー・テレキャスターは、1961年製。今はなき日比谷線3000系や近鉄900系と同期。れっきとした「ヴィンテージ」である。
テレキャスターと、同じくヴィンテージ(1966年製)のVOX/AC30の組み合わせは、私の表札のようなもの。トレード・マーク。
佐藤のアンペッグも多分旧い。もっくんは、私が所有している1950年代製と思われるトリクソン・ドラムを叩いてもらった。
今作、そして『感覚は道標』に収録される全ての楽曲は、伊豆スタジオのneveコンソールを通って録音された、これまたヴィンテージ感のある音色。ロックは、ヴィンテージっぽいのがカッコいい。
ヴィンテージの外車に乗って(しかも安めのやつ)、久しぶりの友達とドライブに出るような歌。もう戻ってこれないかも知れないし、そんな感傷もそこそこに、片道切符だけ持って行ってしまった歌。
くるりの、くるりによるトリビュート・ソングでもある。浜木綿とか、坂道とか、炭酸とか、歩き出すとか走り出すとか、ドアを開けるとか。免許取ってみようかな、と歌ったハイウェイから、20年ごしのドライブ・ソング。
aleha
『感覚は道標』には、バラードが少ない。寓話的な動作や会話よりも、自白的なリリックが多いし、フォーキーな音楽よりは、ビート・ミュージックやロックンロール、ハードなオルタナティブ・サウンドが多い。バンドのジャム・セッションからスタートしていることと、私が歌詞を書く時もメンバーやスタッフと会話しながら作っていったからだと思う。
個人的な感覚として、心を支配するメランコリックな気分は、いまに始まったことではない。
気を抜くと、私はすぐにメランコリックなモチーフを作ってしまう。それは、そういうものを作るのが好きだとか得意だとかもあるけど、何より人に構ってもらうには、振り向いてもらうにはそういったモチーフがいちばん効果的だからだ、と自覚している。
くるりのバラードは、私のそんな性格や性質も寄与していると思う。
今回のセッション、レコーディングは、そういうものよりは快活で、周りにどう思われようと悪ふざけをすることを目標にスタートしたので、いわゆるバラード的なモチーフは、この一曲しか生まれなかった。
個人的な感情、と言うよりは、まるでどこかの誰かがその場所で不思議な体験しているかのような、俗に言うイタコ的な感覚というものは、私のソングライティングにおいては通常運転であると同時に、その扱いには神経質にならざるを得ない。
時折り、リリックや音楽的構造に、自分自身があてられたり、飲み込まれてしまうことがあるからだ。言ったことや思ったことが現実になることがあるからだ。
それを、人はスピリチュアル、だとか、呪い、だとか言ったりもするし、私自身そういったことには敏感な方だから、結構そのあたり気にしながら生きているつもり。
心の中の安寧に名前を付けられるような、そんな大それた学があるわけでもない。音楽家としても人としても、まだまだ未熟。私も他の2人も。
自らの愚かさと向き合いながら、幾つかの絶望と挫折を味わった仲間たちとなら、こういう感覚も共有できるかな、と思って書いた歌。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?