くるり official
岸田の公開手帖です
主に'50年代〜'80年代製造の鉄道車両にフォーカスし、岸田繁が写真やコラム、インタビュー、走行音などをUPします。
おもむろに気になった作品や、よく聴いていた過去音源、素敵な新譜なんかをやんわりした言葉で紹介していきます。
今年の音博のことを一言二言で語るのは難しいです。 毎年このイベントには1年ぶんのカロリーと予算を掛けます。だからこそ、理想と現実、そして未来予測も込みで、くるりの活動やプロダクション運営に大きな影響を及ぼします。 運営上(公共の公園を使わせていただいていることと、天候に左右される野外イベントだということなど)、私たちプロダクションにとっては大きな利益が出るイベントではないので、各方面からのご支援に支えられ掴まり立ちをしながら、なんとか毎年開催出来ているのが現状です。 京
ずっと憧れだったナポリの作曲家/管楽器奏者ダニエレ・セーペを日本に招聘し、京都音博のステージに立ってもらった。 彼とは既にことし4月、イタリアのナポリにてレコーディングを行い、2曲を完成させ先日リリースしたばかりだった。 彼とそのバンドメンバーたちは、音博やそのリハーサルだけではなく、今月放送予定のNHK『tiny desk concert』の収録や、ほか色々スケジュールをびっちびちに詰め込んでいた中、一切の手を抜くことなく真摯に取り組んでくれた。 4月の時点で、もう既
この世で最も加担したくないのが、いじめ。 残念ながら、この2024年になってもいじめは無くならないし、私たち人間の想像力が鈍感になり続けるばかりで、よりいじめを助長する世の中になっていることが想像できる。 「弱いものいじめ」という言葉にはいくつかのトリックがあり、誤解を招くものだと思っている。 というのは、予め弱いものをいじめる構図以外にも、世の中のいじめには様々な構図が存在する。有名人のSNS炎上なども、あれははっきり言っていじめ構図だし、世の中には弱者/被害者である
北陸新幹線の金沢〜敦賀間の延伸開業で、首都圏から北陸への人の流れが活発になりつつあるとの報。 京都住みの私にとっては、北陸に対する心理的距離は近い。大学の同級生は北陸出身が多かったし、サンダーバードに乗ってしまえば福井や金沢はあっという間に着く実感だった。 敦賀で乗り換えを余儀なくされる現状は、関西〜北陸の移動に対する心理的距離感が増してしまったように思われている方も多かろう。 乗り換え無しの直通運転や、同一ホームでの乗り換え、シームレスな移動による効果は、実際の移動時
京都市内、インバウンド混雑がなかなか酷いことになってきている実感。2018年頃を思い出す。 観光公害、とはうまく言ったものだけど、私たちが払った税金を使って運行している公共交通機関、特に市バスに大荷物持って乗られるもんだから、混んでる、とか乗れない、とか市民が怒るのもごもっともである。 勿論、市バスと市営地下鉄はババ混みなのとそうで無いのの差がすごく大きくて、とにかく現場の勝手で生まれて放置されたままの無駄が多いと思うから、抜本的な改革が必要だなぁ、というのは私のような一
伝えたいことを伝えずにいることが多い。 気持ちをストレートに伝えたいと思っていても、照れや自信のなさ、あるいは過剰な気遣いから、表現を捻じ曲げてしまうことも少なくない。皮肉っぽく誤魔化したりとか。 私はSNSなどで人々からのダイレクトな悪意を食らうことも多いから、見ず知らずの他人に対して疑心暗鬼になることもある。これは、SNSのせいでは無い。私のパーソナリティによるものだと思う。 京都人だとか、ある種の発達障害だからとか、すぐそういうレッテルを貼りたがる外野の声を真に受
最近人と喋るのも、文章書くのも苦手になってきたような気がしている。何かフィルターが掛かったような、開店休業中のような感覚。丁寧に話そうと思えば思うほど、まわりくどくなり捻くれて意図が伝わらない。多分周囲にも迷惑をかけている。 数年間、そのような自分を自分で認めて、わかりやすく話すよう努力してきたが、ガラガラと崩れ落ちた。 自分が自分らしくいることって、ほんとうに大事なことだと思うけど、それはいとも簡単に崩されてしまう。 自分らしくいる、ということは本当に繊細なこと。ただ
怒涛の日々が終わりつつある。 アルバム『感覚は道標』の制作から発表、『くるりのえいが』の舞台挨拶やプロモーション、初の2日間開催となった京都音博、その後のイベント出演など。 もっくん含め、メンバーやスタッフも常にフル稼働で、数年分の仕事をここぞとばかりにやり込んだ感覚。 日々生きてるだけでなんやかんや色々あるから、ここに書く私たちの活動以外のところでも、なんだか色々あるから少し休みたいというか、いちど副交感神経優位にしてみたいところ。 映画を観てくれた方々、アルバムを
私が敬愛している存命の音楽家は沢山いらっしゃるけれど、なかでも南イタリアはナポリの鬼才Daniele Sepeは特別な存在であり続けていた。 私がまだ中学生だった頃、恩師だった音楽の先生は授業のなかで、古いイタリア歌曲を学生たちに歌わせていた。「サンタ・ルチア」や「オーソレミーオ」など。私は音楽の授業は嫌いだったが、それらの歌をうたうことがとても好きだった。 麺類が好きで、イタリア料理が好きな私はイタリア、特に南イタリアには憧れを抱き続けたままオジサンになった。 私は若
happy turn くるりオリジナル・メンバーの3人には、1990年代オルタナティヴ・ロック以外にも、音楽的に共通する参照点が幾つかある。 くるり結成前後は、3人とも古典R&Bやブルース、ファンクなんかを好んで聴いたり、演奏していた。 もっと若い頃には、1980年代ポップの影響も受けていただろうし、ビートルズやフー、ローリング・ストーンズをはじめとする1960年代ブリティッシュ・ロックは3人共通の大きなリファレンスである。 くるりはそもそもシンプルなロック・トリオな
暑いですね。 くるりは、5人編成のバンドでライブツアー中です。ツアーが終わったら、イベントやフェス幾つかに出演予定です。 佐藤さん以外のツアーメンバー、まっちゃん、のっちとはもう10年くらい一緒に演奏してますし、石若とも5年くらいになります。あらきゆうこちゃん、クリフとはもっと長いですね。彼らは、レコーディングにもたまに参加しますし、サポートメンバーという肩書きではありますが、代わりが利く人たちではありません。これからも末永く一緒に演奏したいな、と常々思っています。 く
ジェンダーレス・トイレ、というモノが、東京の歌舞伎町に設置されたと聞きました。様々な波紋を呼んでいますが、課題意識が整理されていない中での導入であることがわかります。 トイレが男女別に分かれている、というのが当たり前のように感じている前提でのトピックですが、そもそも小さい飲食店や、住宅などでは男女共用トイレが殆どなわけで、古い便器は男女共用便器なんてのも存在します。段差というか踏み台のある和式便器なんかはそうですね。あと、U字型になった便座も、男女共用が前提だと思います。
2023(令和5年)。 くるりは結成27年目。音楽家を生業にしてから25年ほど経ち、私は40代後半になりました。 バンドは紆余曲折を経て、まだまだ活動中ではありますが、ここ10年ほどで私はくるり以外にも様々な活動をしてきたように思います。その辺り、あまり周知されていないものもあると思うので、紹介しておこうと思います。 ソロ活動として、交響曲2曲を書き、劇伴制作やCM楽曲の制作なんかも幾つかやりました。 そして、奥田民生さん、伊藤大地くんとのロックバンド、サンフジンズを
京都音楽博覧会を前に、京都ネタ。 京都市、財政難(今に始まったことではないが)。かなり大変そう。色んな理由があるので、検索してもらえればわかると思いますが、いよいよ色々ヤバいんだろうな、と個人的には思います。 京都市、人口減少。これも、色んな理由と事情があり、どこの自治体でもだいたい人口減ってますが、京都市の場合はかなり特殊な事情で不健全に減っているので、これも色々ヤバいのかも知れません。 京都市は2007年に制定された「新景観政策」によって、建物の高さ規制がかなり厳し
長くミュージシャン生活を続けるための秘訣(若い音楽家向け)をまとめて、そのうち本にでもしたいと思っています。多分自分語りになりますが。 ソングライターでも演奏者でも、バンドマンでも、ポップ音楽作品に携わる仕事をする者であれば、以下ふたつが結構重要なことだと私は考えます。 ひとつは流行の少し先を意識すること、もうひとつは古典を多く知ることです。 ポップ・アーティストは常に、最新の流行に敏感であるのが望ましいと言われています。当然、シーンに風穴を開けるには、その時流行ってい
最近観た映画。『トップガン・マーヴェリック』と『リコリス・ピザ』。ふたつともなかなか面白かったです。 この2作品、真逆のベクトルの作風ではあるものの、1970〜80年代アメリカの世界観をヲタク的なまでに追求する、という意味において、あまりにも良くできたパースペクティブ。コスプレの域を軽く超えてきます。映画ヲタクが作る映画ってエグいですね。音楽ヲタクも、とことんまで皆さんやってほしいところです。 ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)好きとしては、どうしても贔屓目で観