2022/09/06
BGM: Bob Dylan "World Gone Wrong"
木曜日に友だちと行うオンラインミーティングで、私がプレゼンテーションをする番となった。私は、発足当初から関わっているとある自助グループについて話させてもらえたらと思っている。そのグループで私は大事なことをたくさん教わった。そのグループにおいて、私は何度も失敗を晒し恥をかいた。でも、他の方から暖かく再生の機会を与えて下さったことで私は(変な表現になるが)「安心して失敗をする」ことができるようになったと思う。失敗しても私の尊厳まで損なわれることはない、と思えるようになったのだった。これは本当にありがたいことだ。
基本的に、私は実に弱くまた不完全な人間である。クールなんかじゃない。でも、ともあれそれが私の人生であり私という人間なのだから受け容れるしかない。私はその自分自身を受け容れ、愛するようになった。それは今も変わらない。今、私は平静な気持ちで自分を見つめることができるようになった。かつては自分が生まれてきたことも、自分がここにいることも間違いだったのだと思って生きていたのだけれどそんなことはもう考えない。自分がここにいること、生きていることにはきっと何らかの意味がありうる。というか、それを探すのが私の人生であるだろう。
それはそうと、秋めいてきたからか(昨日も書いたが)今日はエリック・クラプトン『アンプラグド』と、あとはボブ・ディランが90年代に残したアルバムばかり聴いていた。私は若い頃、端的にアホだったので背伸びをしてカーティス・メイフィールドのような渋い音楽を背伸びをして聞いていたことを思い出す。気取ることなんてなかったのだ。時が来れば私にもわかる時がくる。今、この年齢になって聴くボブ・ディランは実に沁みる。彼のアルバムを聴きながら、また原語でルイーズ・グリュックを読もうかと考えてしまった。英語で何かを読む練習を始めなければと思いつつ、なかなかできないでいる。
英語で何かを読む……昔買ったまま本棚の片隅で干からびているドン・デリーロのペーパーバック『アンダーワールド』を読むべきかもしれない。私は英語で読んだ本は実に2冊しかないというお粗末な状態なので、少しずつ楽しんでいきたいと思う。慣れの問題なのだろう。私はどこに向かっているのだろう? 何をしたいのだろう? 考えても答えは出てこない。多分座ってうんうん唸って考えても答えは出てこないという、そんな問いなのだと思う。立ち上がってどこかに歩いていって、そうして動いているうちに答えが出てくるというような、そんな問いなのかなと思った。
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