2022/10/10
今日は遅番だった。今朝、ふと「このまま生きていてもいいのかなあ」と考えた。まだ鬱を引きずっている……生きていてもいいのか、なんて大げさでまるで『新世紀エヴァンゲリオン』みたいだけれど、それでも自分がここにいることをまだ肯定できず、何か許可みたいなものが必要なのではないかと思ってしまったりする。自分はここにいてもいい……もうアラフィフだというのにこんなことに悩むのもなんだかアホくさいが、まだ自分の中で過去のトラウマは残っているのだなあ、と感心(?)してしまった。どうすればいいのだろう。
だが、どんな風に過去のトラウマが働くにしても、気力が湧かないにしても時間がくれば私は自動的に服を着替え、靴下を履き、読む本を選び出発するのだった。自動的に、ごく自然に……こうしたこともアラフィフになって初めて気づいた自分なりの処世術というやつかもしれない。気持ちに引きずられず、鬱に囚われず、やるべきことをやる。仕事に自分を投じればそこで何か新しい発見があるかもしれない。そうでないにしても、仕事の場で「滅私」の精神で自分を動かすのは煩悩から開放されるようで気持ちがいい。そうして自分は自分をコントロールするのだった。
昼にジュディスさんとWhatsAppを使って話す。ジュディスさんが、この日記を書籍化してはどうかとおっしゃった。書籍化か……そのことを友だちに話してみる。もちろんぜんぜん形になっていないアイデアなので過度に期待するのはみっともない。だが、ジュディスさんがそうして私のために提案して下さったことが端的に嬉しい。ああ、この世の中には私のために笑ったり怒ったり、一緒に策を練ったりして下さる方が確実にいる。その事実だけでもう御の字というものだ。またclubhouseでジュディスさんと話せればいいな、と思った。
村上春樹『ノルウェイの森』の英語版を読む。私が市が開催する「ふれあい祭り」で通訳的な仕事をすることを他の人に話したら、その方々も喜んで下さった。ああ、そうして喜んで下さる方々がいる……その方々の喜びが力を授けてくれる。英語の勉強に勢い力が入ろうというものだ。水曜日はまた別のミーティングに誘われてもいるし、落ち込んでばかりもいられないのだった。全体として見ればそんなに華やかな、あるいは栄光に満ちた人生とは言えないかもしれない。だが、こうして折々のイベントをひとつひとつ味わって生きていると、捨てたものではないかなとも思えてくる。つらいこともあるけれど、ミュート・ビートの音楽を聴きながらやり過ごしていきたい。