2022/09/19
台風が本格的に迫ってきた。雨風が強くなってきたので仕事場に行くことはおろか、外に出ることさえできない。なので仕事は休ませてもらって、あらかじめ買い込んでいたインスタント食品を頼りに「巣ごもり」で過ごすことになった。とはいえ、こうしてまとまった時間が与えられると貧乏性な身の上なのでいったいどう過ごしていいかわからず、午前中はただDiscordで友だちとやり取りして過ごすことになった。海外から友だちが励ましのメッセージをくれたのでそれが本当にありがたかった。何となく使い始めたDiscordなのだけれど、いつも友だちからは元気をもらっている。
グループホームのスタッフの方が、こんな悪天候なのにあちこち走り回って下さってお弁当を提供して下さった。これもまたありがたいことだ。幸いなことに、こちらは停電に悩まされることもなく過ごすことができた。LINEやWhatsAppでも旧知の間柄の方が連絡を寄せて下さった。人の優しさが本当にありがたいと思う。昼からテンションも変わり、本を読めるようになってきたので池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』を読む。この小説は高校生の頃だったか読んだことがあったと思ったのだけれど、まったく覚えていなかったのでまっさらな気持ちで読むことができた。
ラテンアメリカ文学の影響が色濃い作品だと聞いていて、確かにマジックリアリズム的な不思議な展開を備えた作品ではあるのだけれど、私はこの作品の中にアジア的な文化を見い出せる気がした。「もののあはれ」とでも言おうか、栄華を極めた人がいずれ没落する(「失脚」?)する無常が記されているように思われたのだ。そんな運命にある私たちだからこそ、「今」を受け容れて生きること。そんな読み方をしたのだけれど、間違っているかもしれない。私はこの作品のマシアス・ギリが好きになった。流動する世界の中のひとつのコマでしかない男……でもそれは私だって同じ。私もまた、この世界の中ではひとつのコマでしかないのだ。ならその運命を笑って楽しむことが大事なのだろう。何だかシェイクスピア、あるいはクストリッツァの映画みたいだけど。
夜、本ばかり読んで過ごすのもアホくさいのでドキュメンタリーでも観ようかとも思ったのだが、集中できずただ無駄に時間が過ぎてしまった。何だかこんな風にして私の後半の人生も読書ばかりで過ぎていくのかなあ、と思うとそれこそアホくさい。だが、それが私の性分なので仕方がない。古井由吉やフェルナンド・ペソアを読み、坂本龍一『CHASM』を聴く(「Undercooled」という曲にハマっている。韓国語の響きが心地よいと思ったのは初めてだ)。流行りの話題からすっかり遠ざかり、自分だけの世界に浸る……これが「隠居生活」というやつなのだろうか、と思った。人生に飽きた、という境地にはさすがにまだ遠いが。