2023/01/13 BGM: 詩人の血 - バレンタイン
今日は遅番だった。朝、下條信輔『意識とは何だろうか』を読む。とても深い本だ。古い本ではあるが、今なお読むに耐えるいろいろな問題を提起している1冊で、今回の読書で気になったのは日本でも話題になった抗鬱剤のプロザックについて触れられているところだった。日頃から抗鬱剤を飲んで精神の調子を「アゲ」ることは果たして幸せなことなのかどうか……私自身大学生の頃から今に至るまでクリニックに通って眠剤などをもらっているので、プロザックを頭ごなしに否定することはできない。だが、そうした薬で始終「アゲ」続けの暮らしを送ることにもためらいがある。これは「薬」を「酒」「麻薬」に置き換えたら問題が見えやすくなるかもしれない。乱暴な議論だろうか?
私が精神科に通うようになったのは鶴見済が発表した『人格改造マニュアル』を読んでからだった。精神科が決して異常な場所ではなく、私たちが幸福な暮らしを送るために気軽に利用できる場所であることを綴っていたのを読んで、それで行ってみる気になった。確かに薬は私を助けてくれている。それは疑いようにない事実だ。しかし、薬で落ち込んだ精神を立て直してもそれは一時しのぎでしかないというのもまた事実である。私が自分自身の問題と本腰を入れて向き合って、そして自分を変えていく(まさに「人格改造」だ)ことによってしか幸せになれないというのも事実ではないかと思う。
一時期の私にとって、酒はなくてはならないものだった。そして私はそんな風に酒浸りになって生きてしまっている自分自身をずいぶん責めた。一方では酒で死ねたらこんなにいい死に方はないとも思い、酒以外に自分の生き甲斐なんてものはありえないとも思った。だが、それは私に巣食うアルコール依存症という疾患が言わせたことであって私の本心ではなかった(このあたりはもっと繊細な説明が必要なのだが)。今、くたびれ果てた内蔵のことを思えばその若い頃の酒浸りの生活を後悔しないでもない。その意味では酒浸りの日々が幸せだったとは思わない。それと同じことがプロザックと共にある人生にも言えないだろうか。
今日はジョブコーチの方とのミーティングがあった日だった。職場の問題点をあぶり出し、整理する。職場では私は時折孤立感を覚えることがある。発達障害者である自分はこの会社の中で結局異端でしかない……だが、その異端である自分の特性こそが役に立っているという事実もある。自分が為している貢献について今一度振り返ることができ、自信を持つことができた。幸せとは「し合わせ」、つまり何かと何かが合わさった状態を意味すると書くと学んだ。私もこうして他者と「合わせ」ることができている、「コネクト」することができている。そう思うと自分の幸せをありがたく思われる。