2022/10/05
今日は休みだった。ジョブコーチに相談する件でメールを書く。昼にTwitterを見ていて、津原泰水の訃報を知りショックを受ける。彼の小説は初期の『妖都』『ペニス』を好んで読み返していて、私の読んできた小説の中でもとりわけこの2作はオールタイム・ベストにだって軽々と入る。彼の想像力は村上龍に比肩する実に艶めかしいと同時にリアルなものだったと思う。ただ、オチがはっきりしない作風でもあったのでそこで賛否が割れるのではないか。作品世界を永遠に彷徨うような、出口が見えないという。これを機に私も彼の作品を読み返そうと思う。合掌。
村上春樹『ノルウェイの森』を読み返した。この小説はさまざまな読み方ができると思うのだけど、私は今回コミュニケーションをめぐる物語として読み返したくなった。村上春樹はこれまでもコミュニケーションについて執拗に考え抜く作家だったと思うのだけど、他人を理解することや他人に何かを伝えることについてこの作品では語ることを試みようとしていると思ったのだ。肉体関係について濃い描写が行われるのも、そうした相互理解を別の形態のコミュニケーションとして捉えようとしていると考えられるのではないか。
『ノルウェイの森』を読み進めるにつれて、憂鬱な気分になったことも確かだった。私たちは死者の思い出を忘れてしまう。すべては忘却の中に呑み込まれてしまい、愛したことも愛する人との思い出もなくなってしまう。そして私たちは死ぬ……だが、そうであっても私たちは死者との思い出を胸に再生すること、生き直すことだって可能だ。その意味ではこの作品は同じように再生の可能性を示唆した夏目漱石の『こころ』のような作品と親しい/近しいのかもしれない。『ノルウェイの森』は現代版の『こころ』だった!?
clubhouseでみほげさんが開かれた部屋に入り、夢を語る機会を頂戴した。私の夢を語るなら、自分はこうして言葉を介して日本語や英語で自分の思いを語ることが好きなのだった。ある意味では「talkative」な人間である、とも言えそうだ。ならばそうして、世界中の人に(小規模であっても)私の意見を届けたい。金持ちになるとか有名になるとか、そんなことはどうでもいいと思った。今、こうしてシラフで一日一日を過ごせるなら毎日がすべて特別な日、毎日が奇蹟のような日の連続だ。今日断酒会でそんな話になり、改めて自分が日々再生のチャンスを掴み夢を叶えられる希望を生きていると思った。