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2022/12/13 BGM: Yellow Magic Orchestra "東風"

今日こそは映画を一本観るつもりだったのだけれど、気分が変わって本を読むだけに終始してしまった1日だった。都筑政昭『「小津安二郎日記」を読む』を読み終える。いつも書いていることだけれど、私は実を言うと映画ファン/シネフィルではない。映画を本格的に観るようになったのは40を過ぎてからのことだ。それまで、私は年に1本映画を観るかどうかという生活をしていた。私が青春を過ごした90年代と言えばタランティーノやウォン・カーウァイ、レオス・カラックスといった監督が華々しく作品を発表した時期だったが、私はリアルタイムで彼らの映画を観たことは皆無である。

40を過ぎて断酒を始めたこともあってか、私は自分自身を変える何かを始めたいと思うようになった。それで、たまたま読んだ音楽雑誌でライターたちが映画を積極的に論じているのを知って唸らされたこともあって、40の手習いで映画を観始めようと誓ったのである。文字通り1からのスタート。スタンリー・キューブリックの名作から始めて、さまざまな映画に触れるようになった。小津『東京物語』を観たのもその頃である。豚に真珠という言葉もある通り、最初はよくわからなかった。だが折に触れて観ている内に渋味が味わえるようになった、そんな気がしたのである。

そして、今では月に1本は最低でも観る生活を過ごすようになり私の知識の中にも映画が増えた。とはいえまだ観ていない映画はたくさんある(しょせん「付け焼き刃」であることは自覚しておきたいとも思っている)。まあ、焦らずにボチボチと映画を観ていきたいとも思う。先日、12日は小津の誕生日にして忌日だったが何も大したことはできなかった。赤が好きな小津の美学にならって赤いものでも飾るか着るかするかな、とも思ったのだが。『「小津安二郎日記」を読む』を読んで小津の「無常」の美学を学べたらなと思っている。

小津は「なんでもないことは流行に従う。 重大なことは道徳に従う。 芸術のことは自分に従う」という言葉を残している。昨今、ネットを見ていると真偽のほどがよくわからない事柄があれこれ喧しく論じられている。だが、私は流行に流されることもまた是としながらも(流行を肯定的に捉えなければ私だってスマートフォンを持ち歩くこともなかっただろう)、自分の中にある道徳や自分の審美眼を大事にしたいと思う。時にはブレながらも、自分の核をじっくりと鍛えて生きていきたい。今年の年末、時間を取れたら小津に触れ直したい。

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