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雑想

今後の活動のための準備として、思うところあり「もやしもん」をつらつら読み流している。考えはまとまりそうもないのだが、2、3点ほど書いてみる。


豊かさとは選択肢の多さをいう

もやしもん7巻63pより

東京日本橋の三越で《日本伝統工芸展》に魅了され、それからここ数年ほどでこの国の産物の豊かさに色々と目を開くことができた。
大きなところでは西日本と東日本の違いで漆芸と陶芸の棲み分けがあったり、雪国と南国では竹工芸と蔓工芸の差があったり。
食べ物でも、各地の伝統野菜伝統料理は言わずもがな、天然の産物でも実は筍は北海道ではほとんど採れなかったり九州ではイワナが釣れなかったり、引用画像のごとく味噌も様々、醤油蔵も街に一つづつ、日本酒蔵も地ビールも津々浦々にしっかりと根を張って生きている。
(津々浦々どころか港のないところ海のないところもたくさんだ)

また、東京に住んでいた時はこう思ってもいた。
「東京は全国の産物が集まってくるからお金さえあればなんでも揃う」
と。
いま福岡の片田舎にいて思うのは、その認識の如何に夜郎自大であったことよ、である。赤面だ。
実際には少量生産ゆえであったり輸送難であったり癖の強さであったりその複合であったり、とにかくなんらかの事由から東京に集まらない、集まれないものがたくさんあり、それでもそのひとつひとつが確固たる歴史と文化を持っている。

豊かさは選択肢の多さであるとするなら、この国の各地の産物それぞれが、この国の豊かさを物語る証人なのだと思う。

地域おこし、という言葉への反感

日本の人口政策は団塊ジュニア世代の出産奨励に挫折した時点で破綻した。
過疎地域や限界集落はこれから加速度的に増加し、惨めで困難を極める撤退戦には希望など全く持つ余裕がない。北海道夕張の苦闘を見よ、あれこそは今後の日本列島の多くの場所で見られる将来の姿である。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52287

この事実を直視せずになにが地域おこしか、なにが地方の復権か、とすら思っている。甘い未来を提示するコンサルや企業に踊らされる各地の姿は哀れを超えて滑稽を飛び越え、その先また哀れに着地する有様だ。

と、まあそのように思うわけです。

しかし、撤退しながらも豊かさを失わない方法があるのではないかな、とも、このところ思ってはいる。
それが先ほどの、多様性の担保としての豊かさに関係しているような気がしているのだけれど、まだ具体的な方法は暗中模索なのだった。


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