#03 ワタシハウナギダ
どうもこんばんは、こるりです。すっかり放置してしまいましたが、阿呆鳥の片鳴きコーナーをゆるりと復活させます。
▼本エッセイはこちらのマガジンに収録。
端的に理由を申し上げれば、あくせくと、それでいて気楽に書くということに立ち返るため。それと文語上の敬体(です・ます調)の練習でしょうか。どうにも私には、口語が文語に侵されるきらいがありまして、油断して常体を会話上の基本設定にしていると、「〜なんだが?」と古のオタクのような語調になりかねないのです。
さて、会話下手な私は「ダ・デアル」と「デス・マス」の使い分けに不毛に悩んでいるわけですが、談話上の戦略をいったん無視して考えれば、この二つはおおむね置き換えることができます。
「だ」も「です」も、「ぼく」と「太郎」とを結びつける役割をしているという点で同じですね。言いかえれば、上の文では、「ぼく」と「太郎」は、「だ」や「です」によって、イコールの関係で結ばれています。このような論理関係を持った文を、同定文(またはコピュラ文)といいます。英語を学ばれた方ならきっと、be動詞のことかと納得されることでしょう。
ところが、日本語の「だ / です」はbe動詞では表しえない範囲をも含んでいます。
ここで、「俺」と「オケラ」はイコールで結ばれるかといえば、もちろん違いますよね。ひどく卑屈な青年が「ぼくはミジンコだ……」と打ちひしがれているような状況も考えうるでしょうが、そうでなく、おおよそ述語が省略された形であるといえます。ここでは「俺はオケラが怖い」の述語部分が「だ」に替わられています。
やはり、ここでも「ぼく」と「鰻」はイコールでは結ばれません。このような「だ」の使い方をする文は、前述の同定文ではないということで、単に「非同定文」とも呼ばれることもありますが、より一般的には「うなぎ文」と称されます。
言語学者の奥津敬一郎先生が1978年に『「ボクハウナギダ」の文法 ダとノ』を出版して以来、この「うなぎ文」という呼び方が人口に膾炙し、今では日本語文法の「だ」を解釈する上で重要な考え方のひとつとなっています。
この「うなぎ」はほかの名詞に置き換えることが可能ですから、別にうなぎである必然性はないはずですが、日本人はどうにもうなぎを愛してやまなかったからこそここまで「うなぎ文」が定着したのでしょうね。
週明けの月曜日は丑の日らしいですから、今から鰻への恋心を募らせておきましょう。身を焦がして待つと、馥郁たる香りがあたりに広がります。
ええ、私は鰻です。あなたも鰻ですか?