二周目の花弁
あさ、目を覚ますと、年を取っていた。十二菊、二つ重ねて、二十四。
束の間の青春を無為に過ごし、瞬間的な美さえも持たず、蕾のまま枯れていく。花火のような生を語るには、輝きを知らない。
本を読むことで繕ってきた得体の知れない欺瞞は、いともたやすく、メッキのように剥がれ落ちる。剥がれ落ちるメッキさえ、偽りの金を演じることなく、錆のようにくすんでいる。身から出た錆。むしろ、錆でできた身。
悧巧なゼスチュアを倣って、大人を恐れて、きわめて、穏便に生きてきた。いとこのお姉さんはみんな結婚したみたいだし、今度は私がなんて、親戚の集まりで言われるから、もう私も、大人なんだろう。それでも、世の中を知らないし、大人が怖い。
たとえば、高校球児なんて、もう私よりもずっと年下の、いとけない男の子のはずなのに、私の生涯のどの瞬間よりも、輝いていて、大人に見える。
阿呆な大学生も、ヤンチャな青少年も、なんだか私よりも、ずっと先のところへ立っているような、そんな気がする。
学校の修身と世の中の掟はすごく違うから、いつも私は置いてけぼりだ。一緒におちゃらけてでもいれば、きっと相当な得をしただろうし、仲間内に入れてもらえただろうに。碌に世の中を知らぬまま、世を訝しんでいる。とても冴えない。
成人式のとき、子供を連れてきた子たちを、心配するふりして、ちょっと見下すポオズで、後から毒づいたりもしたけど、やっぱりちょっと、尊敬していた。あの子たちは、きっと、大人だ。
夏の花火も同じで、あのきらびやかさに、目眩がする。他の人の、人生のうちにあるであろう、いくつもの輝きに、自分を重ねると、なんだか、ざわざわした気持ちになる。
今紡いでいるこの言葉さえも誰かの受け売りだと考えると、途端に切なくなってくる。見知らぬ誰かから三尺玉を借りてきて、打ち上げる気には到底なれない。
私はひどく臆病で、誰かになにかものを言われると、すぐに負かされてしまう。私の言葉は、シャボン玉のように、すぐに消えてしまう。少しだけ頑張って、大きく膨らませても、すぐに割れてしまう。
サラリイマンの雨傘から水滴が傳って、私のパンタロンの裾を濡らしても、何も言い返せない。強面のお兄さんのスマアトホンを握る手が、私の頭に乗っていても、何も言い返せない。ふざけた高校生の立派な体躯が、私の背にぶつかって、倒れそうになっても、何も言い返せない。
目があって、舌打ちでもされた日には、きっと怖くなって、子供みたいに泣きじゃくってしまう。でも、もう子供じゃないから、きれいな涙は、流れやしない。目に涙、湛えて早し、二十四。
十月十日を待たず外界へと切り出された小さな生命は、おおよそ四半世紀にも渡って、未だに胎動を繰り返している。
賢しらな子供のまま、身体も、こころも、大して熟することなく、ここまで来てしまった。実家の、アパアトの扉を開いて、お父さんと、お母さんの顔を見ると、もうすっかり老けてしまったのに、心配よりも、安心が勝る。すっかり独り立ちしたと思ったのに、どうやら私は、庇護のもとにあるみたいだ。
いつか小さな蛮勇が積年の臆病を打ち破って、ささやかな光を齎す日が訪れる。そのとき私は、線香花火のような生を、穏やかに懐かしむだろう。もうフロオベエルだって読んだから、エマの顚末も知ってはいるけれど、今はまだ、あてもない夢想に耽っていたい。