みんなが自分の看板を背負って働いている、quodで働いて吸収したこと。【インタビュー / 卒業生 海老江紫悦】
quod(クオド)で働く人、卒業した人たちにインタビュー。
過去に学生インターンからフリーランスとして約3年半勤務し、2023年12月をもってquodを卒業した「えびちゃん」こと海老江紫悦さんに話を伺いました。
この記事が、quodへの興味をさらに深めていただくきっかけの一つとなれば幸いです。
「ホテルをつくりたい」という夢から出会ったquod
―海老江さんがquodで働くことになった経緯を教えてください
僕はずっと「ホテルをつくりたい」と思っていて。その夢に向けてアルバイトとして現場で働いた経験はあったのですが、もっと企画段階のことも知りたいという思いで、いくつものホテルにインターンの相談メールを送っていました。そのうちの1軒のホテル関係者の方からquodを紹介していただいたのがきっかけでした。大学2年のときのことです。
―「ホテルをつくりたい」という夢のきっかけはなんだったのでしょうか?
高校時代にさかのぼるのですが…僕、大学受験に失敗して、無気力状態になっていた時期があるんです。その時に、渋谷のTRUNK(HOTEL)に行って、失敗した自分を受け入れられた経験があって。TRUNK(HOTEL)では、集まるお客さんの多様さも、私服で働くスタッフも、みんなが等身大に過ごしていて。「自分らしくいていいんだな」と思えました。
こんなに人の心を変えられる場所ってあるんだなと、ホテルに興味が湧き始めたというのがきっかけです。
TRUNK(HOTEL)では、のちにquodのインターンと並行してアルバイトすることとなります。
―そんな夢を抱えてquodで働いてみて、いかがでしたか?
一番大きかったのは、僕は「ホテルをつくる」と思っていたけど、それって具体的にはどんなことなのか、全体像をつかめたことです。
手取り足取り教えてもらうというよりは、そういったことを学べそうな案件にアサインしていただき、そこから自然に吸収していきました。
一口に「ホテルをつくる」と言っても「建築物をつくる」「サービスをつくる」「お客さまとのコミュニケーションをつくる」といろいろな要素があって、その一つひとつのプロジェクトに携われたこそ「ホテルをつくる」というのが、言葉だけじゃなく全体像としてつかめたのは、間違いなくquodで得られたことだと思います。
―quodならではの雰囲気や文化はありましたか?
quodに集まるのはみんな、それぞれやりたいことがあって、それゆえに「自由度がある」ことを必要としている人たちなので、そこから自然に生まれる空気感があると思いました。働いていろいろな人を知っていくなかで「みんなこういう思いがあるんだな」というのを知れて、こういう組織のありかたって素敵だなと思うようになりました。
―創業メンバーとの距離も近く仕事していたと思いますが、感じたことなどありますか?
飯塚さんからはプロジェクトの進行から、ビジネススキーム、ファイナンスなどの面で学ぶことが多かったですし、瞬間的に人の心を動かすのは中川さんのすごさを感じていました。そして「ブランドをつくる」という意味での中長期的なコミュニケーション領域は柴田さんから学びました。みなさんと仕事をすることで、quodの様々な側面を見ることができたと思います。
―実際に働いた様子や、印象に残っている仕事のことを教えてください。
大学2年のころにインターンを始め、最初は単発での案件や企画に少しずつ触れていきました。徐々に長期的に携わる仕事が増えて、東京と富山を1〜2ヶ月間ずっと行き来するような生活をしたりと「ギアを上げ始めた」と感じたのは1年ほど経ってからです。富山では主に共同代表の飯塚さんと一緒に動き、企画の種まきやサポートを行いました。
印象に残っているのは、大学4年のときに最初にひとりで任せてもらった、長野県の立科町にある「牛乳専科もうもう」さんとの冬季メニュー開発のプロジェクトです。
飯塚さんが、僕がコミュニケーション領域に興味があることを見抜いてくださったんだと思います。
たくさん助けていただきながらメイン担当として前面に出て。企画の始まりから締め方まで、全体を通して学びました。
もうもうさんとは、そのあとquodを卒業する直前にもお仕事ができました。
もう一つは同じく長野県の白樺湖のプロジェクトで、手を挙げてやらせてもらったものです。白樺の木でできた白樺湖のかたちのジグソーパズルをつくり、色を塗るワークショップの開催まで、プロジェクトマネージャーとして手がけました。
企画から携わり、素敵なデザイナーさんや木工社さんの製作力、柴田さんのサポートもあって、イベントの場でお客さまに自分の手で提供し、パズルを手にしたお子さんの笑顔まで見られて。「自分たちの意図したものがこうやって伝わるんだ」と感慨深かったです。
大学卒業後、フリーランスとしてquodに
―大学卒業後、他社への就職や、quodへも「就職」するのではなくフリーランスとして残ったのにはどんな理由がありますか?
正社員としての就職も検討しました。自分のなかの「ホテルをつくりたい」って、「事業をつくりたい」ということなのかなと思って、VC(ベンチャーキャピタル)を受けたりもしましたが、他にはなかなか興味を持てる業界がなく、もう一度よく考えてみました。
そこで、将来「ホテルをつくる」という夢を見据えたときに、今就活を続けるよりも、一番近道なのがquodでもっと経験を積むことだと思ったんです。
フリーランスを選んだ理由としては、社員と比較して、実質やる仕事の内容は変わらないなかで、夢に向けた自分の時間を確保したかったというのが大きいです。自分のなかで「ホテルをつくる」ってどういうことなんだろう?と、向き合う時間をとることができました。
ありがたいことにquod側からのオファーもいただき、quodでできる経験と、自分の夢への道が重なっていたと思います。
―フリーランスと学生インターンでの違いはありましたか?
役割よりも、心持ちの変化が大きかったです。
インターンのときはできることが限られるなかで「会社にいさせてもらっている」という感覚でした。それがフリーランスでは、受け取る報酬に対しての責任がついてきて「これくらいの結果は出さないといけないな」という思いに切り替わりました。
周りを見ると、プロの方々が、それぞれの看板を背負って働いている。これも刺激になり「何をしても結局は自分に返ってくる」と、気が引き締まったと思います。
―フリーランスという立場を踏み出すことに、戸惑いや不安はありませんでしたか?
踏み出すときはこれが一番の近道だと思っているので葛藤はなかったのですが、少し時間が経って、就職した友人の話を聞いたりしていると、自信がなくなってしまう瞬間も正直ありました。
ただ、そこでquodのほうを振り返ってメンバーを見てみると、みなさんもそういう経験を経て、今はその道のプロとしてやっている。そういう方々と一緒に働けている時点で、自信をなくす必要はないと思えました。専門性を身に着けるのは少し遅くなるかもしれないけど、それぞれのペースの進め方で生きているだけなんだな、と思えるようになったんです。
家族は正直、今も心配はしていると思います(笑)でも、僕の父も床屋として事業をやりながらNPO活動やカメラマンなど、自由な生き方をしているので、そんな父の影響も大きいと思います。
quodを卒業し、さらに夢に向けて飛躍
―quodの卒業を決めたときの思いを聞かせてください。
去年の9月に卒業を申し出ました。quodには各分野のプロフェッショナルがそろうなかで、誰かに就いてその道を磨き上げることもできたと思うのですが、「ホテルをつくる」という夢に向かっては、僕には僕の、自分なりの突き抜け方をしなければいけないなと思ったんです。ホテルをつくるためにquodでやれることは、今の自分ではやり切れたという思いでした。そこからプラスで必要なことが、その時点で見えていました。
なので、大学卒業後もquodで過ごした1年あまりというのは、ある意味そこもインターンのようだったというか、ギャップイヤーのような…とにかく「自分を理解するために働かせてもらっていた」ような感覚でした。
―quodを離れて改めて、感じたカルチャーや受けた影響はありますか?
みんなそれぞれ「大切にしているものが重なっている」と感じています。
quodというと地方創生や、郷土愛を持った人が多いというイメージもあるかと思うのですが、僕自身は東京出身で、東京が大好きなんです。時には東京イジリをされたりもしたのですが(笑)、メンバーと話すなかで、僕が大切に思う東京への気持ちと、地方の方が大切に思うその地域への気持ちって、根本的には「その地域を愛する」ということで同じなんだと気付きました。東京と地方の二項対立ではなく、共通して「好きな土地・街がある」という思いが重なっているのが、コアな部分としてあるんだなと思って、それがわかったときはすごく嬉しかったです。
―最後に、この記事を読んでいる方に一言メッセージをお願いします。
僕は悩める時期をquodで過ごせたことが、とてもいい経験になったと思っています。
就活しても、業界を調べても、それだけじゃわからないことを吸収できて、大きい世界の広がりを感じることのできる、かけがえのない経験でした。
もしこの記事を読んでいる方でも、インターン先を探していて、行きたい業界が決まっていなかったり、何をしていいのかわからないけど何かしらに飛び込んでみたいと思っているのであれば、得られるものがあるはずなので、おすすめしたいと思います!