ㇰアー マタ ソースン 【終】
X-2さんFM
「また、こっちにねー、」
わたしM
「はい、」
XさんM
「ゆっくりしたら、いいのに、」
わたしM
「えー、はいはい、もう、」
XさんM
「はっはっは、」
わたしM
「はい、ごちそうさまでした、どうもありがとうございました、」
X-2さんFM
「また、おいで、」
わたしM
「はい、もう喜んで、」
X-2さんFM
「質問わかㇼりましたかㇻら、」
XさんM
「いつでもまた、来なさいよ、」
Xさん、X-2さんありがとうございます。読んでいただいてありがとうございます。
我々は、理由なく現れ、また去って行くものなのか?そうではないのか?
うんどうかい。晴れた当日、子どもたちはマーチにのって入場門をくぐり、その場、その時運動場で飛んだり、跳ねたり、走ったり、踊ったり、玉を投げ入れたり、綱を引っ張たりしています。ハラハラドキドキ楽しかったり、苦しかったり、悲しかったり、誇らしかったりして、やがてホイッスルがなり整列して、おさるのかごやか何かで笑い続けて退場門をあとにします。お昼になって、レジャーシートの上に食べ物、飲み物を広げて親子キョウダイシマイが集うところが仮のイエにもみえます。
村々の柱と柱の間にかけられた、それぞれ独特の縄をくぐった我々はその場、その時この世に現れとばされたり、はねられたり、はしらされたり、踊らされたり、たまをなげられたり、縄で引っ張り回されたりします。楽しまされたり、苦しめられたり、悲しまされたり、誇りを持たされたりして、やがてホイッスルがなり、ストレッチャーに載せられ退場門に向かいます。正月ジュウロクニチや、タナバタになればレジャーシートの上に食べ物、飲み物を広げてこの世を眺めながら親子キョウダイシマイが食事をします。これも仮のイエでしょうか。全員がこの世を持っているかはわかりません。
ある人々は、審判の後天国か地獄に行くといい、ある人々は言葉を唱えれば極楽に行って、舌を抜かれることはないといい、退場門を出た我々は、場合によっては長らく、永らく、旅をすることになります。我々はどこかで誰かに憑り付いたり、生家やミヤにたまにたどり着くこともあります。ごそごそあさったりのぞき見してますと突然の花火や爆竹に跳ね飛ばされます。舞う獅子に噛みつかれて、塩をまかれれば走って逃げます。太鼓のリズムについつい誘われて踊らされてイエや集落がわからなくなってしまいます。豆を投げつけられこれが痛い。船にのせられ綱で引っ張られて、離岸流に抗いもどっても、十五夜までのゲーヌは怖いし時にホーンテッドマンションや、ハロウィンに病みバイトしながら、歳月の力で忘れられることを最も恐れつつホームレスを続けることになります。昔の取材ノートオボン編で触れましたが、子供のいない自分のキョウダイ、親のキョウダイの分まで息子と分担して、カビアンジーをしていたのは、大きな組織の構成を守るとかイエを守るとかではなくキョウダイ、親のキョウダイがホームレスになるのを防ぐためでしょうか。
我々のアンセスターワーシップは、村々の柱と柱の間にかけられそれぞれ独特の縄をくぐらせ、イエに迎えて、ファミリーとなり、この世を生き、やがて失い、ソースンとしてさらにファミリーを続け、すぐあるいはいずれ、再び村々の柱と柱の間にかけられそれぞれ独特の縄をくぐるという仮のミヤの思想の一部で、強く子供を望む気持ち、あえて言うならば、子孫崇拝、ㇰアー中心主義といえるかもしれません。仮のミヤの思想は自らの存在の理由を問うことから始めるウナイ・オンナの指導者がこんな便利な世の中にしましょうという経済中心ヤミ思想家、攻めてきたらどないしますねんというヤミ強兵主義者から無視され攻撃され見殺され稲作もろとも魔女狩されてきた中で守ってきたウムイやウタに託されていた哲学でもあります。それは特定の何かや誰かへの崇拝ではなく、成文化された所有や権利の契約でもなく、我々もその一部である空、山、川、田んぼ、海、月、太陽、自然の流れ、大きな循環と一体化するこころみであります。でした。諸君。我々における入場門とは、運動場とは、退場門とはパパーン|ン||ン|||ン||||ン|||||。
ピゥィゥィゥィゥィゥィ、ピッ。
「21時20分|分||分|||分||||分|||||、」
エッサ、エッサ、エッサホイ、サッサ、サ|サ||サ|||サ||||サ|||||。
AさんM
「すいません、ちょっとお尋ねしますが、入場門ってどこか、わかりますう?、」
BさんFM
「やめときい、あっちの方はもうみんな自分勝手で無茶苦茶やで、」
AさんM
「それでも、あっち行ってもう自分で感じたいし、いろんなもの味わいとーて、」
BさんFM
「それやったら、いのちあるうちに、もっと感謝しとらなあかんかったなあ。悪口いわれてあかんいわれて死にたいとか、言いよらへんかった?、ジェラシー受け流されへんかったら、あっちの方が厳しいわ、」
AさんM
「事故やったんです、ほんまにい、」
BさんFM
「んーん、んーん、」
AさんM
「なんかこう呼ばれとうみたいな感じがするんです、」
BさんFM
「そうか、ウムイが聞こえるんやな、それやったら立ち上がりい、前を向きい、押し戻されてもまたゆっくり歩きいよ、流されても笑われても自分らしく泳ぎいよ、思索を乗っ取られて端末の末端になってしまう前にそのおもちゃは置きい、ちゃんと見て考えて、心で感じて、しっかりイマというトキを生きてきいよ。かっこいいとか、わるいとか、お金があるとかないとか気にするんはほどほどにしときい。できるんやったら、ㇰアー成し育てもっともっと濃いい愛と喜び哀しみ孤独も得てマタ、ソースンとなりいなあ、」