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#26 クイズ番組で獲得した賞金が、その年の収入の多くを占めたパリ五輪日本人メダリストがいる

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 2024年7月から8月にかけて、17日間にわたる熱戦が繰り広げられたパリオリンピック。パリの歴史的名所や既存施設の活用に代表される、サスティナビリティを意識したトピックが注目を集めました。
 その一方で、大会期間中、SNS上でのアスリートや関係者への悪質な誹謗中傷、トライアスロンのスイムで使用されたセーヌ川の水質問題、柔道団体電子ルーレット騒動など、競技以外の話題も多くありました。
 今大会、日本選手団は金20、銀12、銅13の計45個のメダルを獲得しましたが、そのメダリストのなかでも注目したいのが、フェンシング女子フルーレ団体銅メダルの宮脇花綸です。彼女のユニークな経歴、激動の半生については、9月11日放送の『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(日本テレビ)にて詳しく取り上げられています。

宮脇花綸(JOC、日本オリンピック委員会のHPより)

 1997年生まれの宮脇。フェンシングを始めたのは5歳。自宅の近くにあったフェンシングスクールに、最初は彼女の姉を送迎するうちに、父親と一緒に習うようになったのがきっかけだと、2021年8月下旬、多摩川沿いを愛犬トイプードルのミエルと散歩中、偶然『笑コラ』のインタビューに出会した母親が答えています。
 小学生の時に日本代表に選出され国際大会に出場、中学生で17歳以下の大会で世界チャンピオンに輝きました。
 お嬢様学校として有名な東洋英和で小・中学校を過ごした彼女は、勉学にさらに力を入れたいと、慶應義塾女子高等学校に進学。アスリートとしての将来を見出だせずに日々を過ごしていたある日、2008年北京オリンピックの銀メダリストにして、日本フェンシング界の至宝、太田雄貴と出会います。彼は目標設定をめぐって「東京にオリンピックを持ってくるから、そこを目標にやりなさい」と迫り、当時JOCの委員の1人だった彼の奔走によって2013年9月、2020年の東京オリンピック開催を実現させました。
 大学生だった2018年には、上海グランプリ決勝でリオデジャネイロオリンピック金メダリスト、ロシアのインナ・デリグラゾワと対戦。破れはしたものの、この大会における準優勝は日本フェンシング史上最高位、彼女の国内ランクは1位に登りつめました。

 しかし2020年、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、開催の1年延期が決定。宮脇はそこから調子を落とし、世界ランキング個人の部門で116位、日本人のカテゴリーでは6位まで順位を下げ、東京オリンピック出場は叶いませんでした。

 次に彼女がとった行動はクイズ番組への出演でした。2022年10月、当時レギュラー放送していた『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』(日本テレビ)の番組HPで行っていた出場者募集の知らせを見て応募しました。つまり、彼女はアスリートという立場にあるものの、一般応募枠での出場だったのです。
 応募の目的は、獲得した賞金でパリオリンピック出場のための遠征費用の確保すること。実はその年の3月末、それまでの所属先との契約を満了していた宮脇。所属先未定のなか、1Kの部屋に引っ越して活動資金をやり繰りしていた、慶應義塾大学卒業の才女はその頭脳を遺憾無く発揮し、10問連続正解。ここでチャレンジ終了を宣言すれば100万円、最終問題に挑戦しすべて正解すれば300万円を獲得できますが、1つでも不正解があれば、0円。非常に厳しいハイリスク・ハイリターンの局面に迫られるなか、

 “試合に出て、銅メダルでいい、とはならない”

という彼女の不退転の決意のもと、最終問題に挑み、見事に賞金300万円を獲得しました。そのとき極度のプレッシャーから解放されたのか、床に崩れ落ちました。
 その活躍を観ていた三菱電機が翌年4月、JOC(日本オリンピック委員会)によるトップアスリート就職支援制度、アスナビを活用し、彼女を採用します。そして、2024年のパリオリンピック、女子フルーレ団体にて、東晟良(せら)、上野優佳、菊池小巻とともに3位決定戦でカナダを33-32で下し、銅メダル。フェンシング日本女子では個人、団体を通じて初めてのメダルを獲得しました。
 帰国後に出演した8月14日放送の『くりぃむしちゅーの!THEレジェンドパリ五輪メダリスト31人大集合』(日本テレビ)では、「本当に助かりました。あの年の収入はクイズプレーヤーとしての収入が一番多かったです」と当時を振り返っています。

 2017年にフルーレ担当コーチに就任したフランス出身のフランク・ボアダンは、当時のチームを「今の日本女子フルーレは、優しくてかわいらしい『パンダチーム』。でも、それじゃだめなんだ。試合で勝つには『タイガー』にならなくてはいけない。彼女たちは技術はうまいけれど、怖くない」と評し、常に戦う姿勢を見せるよう意識改革を促していました。銅メダル獲得の瞬間、歓喜の輪に加わった際には「みんなすさまじく成長してくれたよ」。
 なかでも、海外の記者からのインタビューにすべて英語で受け答えをしていた一面もある宮脇のその姿は、文武両道を体現した、まさに“鬼に金棒”、いや、“虎に翼”といったところでしょうか。

左から宮脇、上野、菊池、東(公益社団法人日本フェンシング協会のHPより)

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 その他の参考文献・記事
『パリオリンピック 激闘の記録』 読売新聞社 
『【フェンシング】宮脇花綸クイズ番組の300万円に感謝 パリ五輪の銅につながり「助かりました」』 日刊スポーツ 2024年8月14日
『パリ五輪 フェンシング銅の宮脇花綸、母校東洋英和で後輩らにエール』 朝日新聞デジタル 2024年8月24日
 また、三菱電機のHPを参考にしました。


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