冬がくる
ビジネススクールから不合格通知を受けた翌日、今度は別のビジネススクールから、出願の第一〆切が近づいているとのメールが届いた。
オンラインフォームにはまだ資料が揃っていないようだけど、大丈夫?いつ手続きする予定なの?もし、提出に困ったことがあったらWhatsAppに連絡をちょうだい、とのこと。
出願の時期をずらすことを早く伝えようと思っていたのだが、つい後回しにしてしまい、逆に相手から催促されて気まずい。
この方とは10月にお会いして以来、何度かやりとりをしている。他の大学の担当者とだいぶ異なりとても気さくで、日本人の、もしくは現地で起業したOGの紹介をしてくれたりもした。ここのスクール自体が南仏、一歩テラスに出れば真っ青な地中海がひろがっているような立地にあるから、気候が人を陽気にさせているのかもしれない。面談の時、堅苦しさが全くなく、楽しそうに説明してくれたものだから、私の方もつい調子に乗って、第一ラウンドで出願すると言ってしまっていたのだ。
しかしすでに、勢いで失敗したことを経験したばかりの今、気軽に出願できる気がしない。
出願の意思はあること、しかし確実に合格をいただくには、エッセイの内容など納得できるものにするべくもう少し時間が欲しいこと、また、推薦状の提出手続きでつまずいていることなどを伝えた。また、次の出願期間についても確認し、出願する気満々な態度を示したつもりなのだけれど、まる1日経っても返事がない。いつもは時差はあれどその日のうちに返事が来るはずが、きっともしかしたら、彼女の心の中では「管理ができない人」と足きりをされてしまったのかもしれない。もしくは、出願ラッシュに当たり、出願手続きをする多くの受験生の対応に追われているのかもしれない。私といえば、本当は、エッセイも推薦状もまだ形にすらなっていないことはここだけの秘密。
夏には根拠のない余裕を感じていたのに、今は焦りと劣等感しかない。
凍えるような季節の訪れと同じく、まさに私の人生も、冬を迎えようとしているかのようだ。クリスマスの雰囲気などはほど遠く、今にも雪が落ちてきそうな灰色の空の元、荒野の樹木は全て葉を落とし、しんと静まり返っている。そんな心境である。
果たして私に春はやってくるのだろうか。
この冬は、ひたすら耐えるしかない。
そんななかで今、心を豊かにしてくれるのは、紙の本だ。
今手にとっているのは、ひとつはフランス語教育者の水林章先生がモンペリエでの留学時代などのことがフランス語で書かれたエッセイ。そして、知識人の加藤周一氏の読書術のエッセイと、戦後のパリで医学と文学の研究をしていた時のエピソード。お2人とも素晴らしい経験をされているけれど、その分、悲しみや苦しみもたくさん経験されていることが文面から伝わってくる。
そこから、私も今に耐える勇気を分けてもらっているような気分になる。
私も彼らのような、知的であり情緒的であり、実りの多い経験ができたら…などと妄想しては現実に戻り、ついつい読み過ぎたと慌ててパソコンに向かうのである。
でも、いつもより厳しく長く感じるであろう冬の忍耐期間だって、きっと将来、いつもよりすてきな花を咲かせるための大切な時と信じて。