えちうど(1年前の)
件名なし。あなたが昔よく歌っていた曲が、テレビから流れてきました。「若者のすべて」でしたっけ。あなたはお元気ですか?
Re:件名なし。元気です。ご無沙汰しております。そちらこそ、おかわりありませんか。
Re:Re:件名なし。お元気とのこと、よかったです。感染症が大変な昨今で、ちょっと思い出してしまいました。どうかお元気で。
Re:Re:Re:件名なし。......いや、そんなタイトルのメールはない。その件名に該当するメールを送らなかったことを、わたしは不意に思い出す。十二月三十一日、夜の八時を回った厨房で。例年ならばこんなことを思い出せるほどに暇ではない。しかし今年は違う。感染症で密を避けろだの、外食をやめろだの言われている。いつもしわ寄せがくるのは、わたしたち末端の側だ。そう思うも、その「いつも」が、自分で思いながらどうにもよくわからない。わたしはこんなこと、これより前に経験した覚えもない。しかしなんだか、この嫌な、べっとりと嫌な気分の既視感はずいぶんと蓄積されている。
今年の大晦日の客は、ほとんどがテイクアウトになるだろう。誰もがそう思う。だから予約を募った。いまの業務はほとんど、その受け渡しだ。ちらほらと来る客は受け取りに来た客だから、わたしは何もすることがない。いっそ、すべてテイクアウトにすればよかった。そう思っていたとき、入って来た客がいた。わたしは厨房のガラス越しにその二人連れを見る。ピザを飛び入りだが、テイクアウトできないか。わたしのところに店員が聞きにくるより早く、直接、二人に頷きで応えた。それが伝わったかどうかはわからないし、どうでもよい。もうその時にはわたしの中で決まっていた。しかし。わたしの決めていたのはピザ生地の広がりとふくらみと、そのあたりで、そこにかかわる味の具合、すなわち具材は決まっていない。
この店では和風のピザもある。和風ピザではトマトソースをほとんど使わない。そちらを求めるのに、こっちが勝手にトマトをたんまり使ってはいけない。いまからピザのテイクアウトができるかとわたしに、それこそ芝居がかって尋ねるこいつに(だってできる限りやろうって言ってたじゃないか)わたしは横柄に頷いて、だったらこっちもやってやろうじゃねえかと芝居がかった頷き一つを見せて、お客さん、といつもよりも低めの声を出す。お客さん、どういうピッツァがお好みで?そういいながら、わたしも笑いそうになる。わたしだって、こんな声で「ピッツァ」なんて言ったことはない。なんだよ、「ピッツァ」って。しかしピザと聞けば随分雑な、もこもこしたアメリカ的な生地が浮ぶが、ピッツァと聞けばクリスピーな薄手のぱりぱりの生地が浮ぶ。ああ、アメリカは滅べ、アメリカ的なものはすべて滅べ。そして政治家を真似た言葉使いで言えば、誤解を与えちゃいないのだが、しかしそんなこと相手はわかりゃしないだろう。なのにこいつらの言うことには、まかない風のを欲しいというクソおもしろくもない返答で、男はそれが気の効いた返しとでも思っているのだろう、満ち足りた表情と、これでソツはなかっただろうかという怯えが若干混じる。はあ、てめえ、まかない風だ?だったらピザの生地とバターだけでも文句はないな? そうすごむのは機嫌の悪いときのわたしであって、今日のわたしではない。かしこまりました、とそのクソつまらねえ答えを諾い、適当に作ることにする。で、ピザ生地に薄切りのたまねぎを載せていたとき、さっきのあのメールのやりとりを思い出したのだ。あれがいつのメールだったのかも、いまでは思い出せない。夏だったか、秋だったか。ずいぶん昔の気もするが、しかし大晦日からみて夏なんて、やっぱりずいぶんの昔だ。しかもずいぶん昔の女から来たメールだ。感情の遠近法はそもそもぶっ壊れている。で、あなたは元気なのか。そのわたしの質問にあなたは、あんたは、お前は、例によって応えてない。だからさあ、だっからさあ。わたしはボルチーニ茸を取り出す。やりすぎってくらい、やってやろうか。せっかくだ。大晦日の飛び入りの客、思えば彼らが、いまのところはじめてだ。だっからさあ。わたしは元気だよ。元気で元気で元気で、ぶっこわれそうなくらい元気だよ。っていうかもうぶっ壊れているよ。あんたはどんな風に日常を、この感染症拡大の日常を過ごしているんだ? 手を洗ってうがいして、なるべく外食はしないで、っていうアレか? こっちもそうしながら、その外食っていうアレを仕事にして、なんだかなあって元気だよ。元気すぎてもう、その辺でのうのうと歩いている平和ボケしている連中ぶっ殺したいほどに元気だよ。ああ、元気だよ。おれの預金通帳の残高とか、今後のことを考えない限り、相当元気だよ。逆に言えば、そういうことを考えたらもうだめだ、一切がだめだ。わかるか? 一切ってそういうことだ。わたしは自分の目の前のピザ生地が、既に古墳のように盛り上がっているのを知る。おれはこれを焼くのか。少し離れたところであいつが、もう一人の店員がこの異常な隆起を見るのを見て、それも面白いだろうと思い直す。ちょっと待っててくれ、とわたしは一度席を外す。そしてロッカールームへ行き、わたしの私服のポケットから小さなビニール袋を取り出す。隠し味としてこの乾燥した、一見バジルと見分けのつかない合法ハーブを混ぜる。合法だが、その辺のマリファナより面倒なトリップを起こす。頭ん中がわしゃわしゃしてくる。小さな、コウナゴみたいな小さな魚が、いっせいにひくひく動いて逃げ出したがるような、あんな気分に苛まれる。それも新年にはいいだろう。そう、味見として簡単に吸ったわたしは思う。あのメール、なんで今更そんなことを言って来るんだ、っていうか今更っていつなんだ。いや、そんなことどうでもいい、そういうことを言ってくるっていうのはてめえがろくでもねえ生き方しているっていう表明なんだろう、生きたくもねえ生き方で生きている状態を維持していかなければ生きてゆけないという本当に、文字通り最悪としか言いようのない生き方に陥って、そこから身動きもできずにいるからなんだろう。若者のすべて。最高にいい曲だ。あんたなんかに覚えていてほしくないくらいに。ふうっと息をついて壁にもたれるわたしにつかつか寄ってくるあいつに、わたしは思わず腹を殴っている。二発ほど。うっと短い声をあげてうずくまるそいつを横に、客はそれに気づいていないことを確認する。それをいいことにわたしはこのこんもりとサービスしすぎてでかくなり、しかもその中に合法ハーブのまざったピザを包む。こちらでございますと箱をあけると、嘆声。これ、やばくない? ああ、やばいよ、そのやばさは家で知れ。そしていっそ、死ね。めっちゃ豪華ですね、ありがとうございます、おいくらですか? とんでもございません。わたしはてきぱきと応える。面倒くさいからだ。わたしの今の愉しみは違うところにある。彼らが帰るのを丁寧に送り、わたしは厨房でうずくまるこいつを見る。鳩尾を思い切り殴りつけたせいか、まだ立てずにいるこいつを。わたしを少し恨みがましいような、媚びを売るような目で見るこいつを。そして無言で、もう一度その鳩尾を蹴り上げる。顎を派手に上に向けてのけぞる。次はあばら骨。思い切り踏みつける。二、三本は折れても大丈夫だろう。そのときドアが開く。来客だ。ほら、行けよとわたしは床で動けないこいつに顎で示す。しかしろくに動けそうもないのを見てあきらめ、自分で立つことにする。笑顔をつくり、わたしは客に言う。
ハッピーニューイヤー。すこし早かった。