ガラス瓶
☆戻り梅雨というのでしょうか。ここ最近、暑さとも湿度とも言えぬなにかに確実にたましいをやられている気がします。そんな中、この雨季の感覚をそのままぶつけたような創作を二十歳の頃に書いた気がする、とあさったものをそのまま載せます。当時サークルの会誌に載せた気もします。色々あって退学届をもらって、その勢いで書いたもののはずです。あっさり手続きがいったように書いていますが、そこはフィクションで、実際は(多分これを書いたあとに出した)結構面倒なことになり、受理はされませんでした。結果的にその後も長いこと、『魔の山』のサナトリウムのように、大学に籍を置くことになるのだけれども、当時はそんなことは全く考えていなかった。何が良いのかなんて、やっぱり時が経っても全然わからない。結果的にやめなかったのがよかったとは、まあ今になれば思いはするけれども、今がよいかといえばそれはまた別。では当時がよくなかったかといえば、実際当時は毎日心底死にたかった。そこで死んでしまったほうがよかったかといえば、それも正直一つの考えだと思うし、いまのわたしは二十歳で死ぬわたしをあんまり否定しない。「あんまり」というのは、人間いいかげんにできているので、いいかげんに生きる方がよいとも思うからだ。
絵画的でありたいと思う。しかしただ絵画的という言葉に憧れるだけであって、私は絵画的という言葉の真意をきっと理解していない。それでも平面描写の世界にいるよりは、あの絵画的と主観で思えるなかに身を置きたい。絵画的。エドヴァルド・ムンクの「ブローチをつけた女」のような、ポール・デルボーの世界のような。私はそれらを夢見ながら生活している。
一方で私の思うことと言うのは、結局のところ衝動的であった。それは不安定なのかもしれない。バランスがくずれてしまったシーソーのような、ねじを巻きすぎた玩具のような、そんな具合にして衝動が生まれた。私は横断歩道の上で寝てみたり、電車賃も残すことなく本を片っ端から買ってみたり、CDをジャケットの良さだけで選んでみたり、雨の中で傘を壊してみたり、駅の線路に飛び込んでみたり、豆をまいてやってきた鳩を思い切りけっ飛ばしてみたり、といった空想で日々をごまかしていた。私はくずれる花になりたかったのかもしれない。落ちる水に。そうしてその瞬間のきらりとした光、それだけを幾人かの人に見届けられたまま終わらせたかったのかもしれない。人はきっとそれを刹那的と呼ぶだろう。私もそれを受け止めよう。刹那的、絵画的にはちょっと遠いが悪くない響きだ。
一方で私の腕から水が漏れていた。関節の辺りから、寝ているとぽたぽたと滴が垂れてベッドを濡らした。それは日に日に量を増してゆき、いまではベッドの三分の一を、寝間着をも濡らすほどになってしまった。私は腕を洗面器に入れて寝ることにした。翌朝そこには太陽の鈍い光でにびいろになった水が半分ほどの高さまでたまっていた。これが私の体の一部なのか、と思った。こうして水になる代わり、私の何かが失われているのだろう。脳が、血液が、水分が、臓器が。それは一体なんだか判らないけれど、悪い気は決してしなかった。むしろ私はそこに心地よさすら感じた。このまますべて水になって溶けてしまえばいい、そうやって流れて、気がついたら体がなくなっていればいい、と思っていた。ひょっとしたら私の体は徐々に小さくなっているのかもしれない。そう思って体重を量ってみたりしたが、針は前と変わらないところで震えていた。水は私の体とは関係ないのかもしれない。併し私にはそんなことどうでもよかったのだ。
洗面器では味気ないと思って、私はガラス瓶を買ってきた。雑貨屋で売っている、窓際に飾るとアンティークの風味が出るような、そんなガラス瓶だった。私は腕をそこに置き、すこし寝づらい体勢ではあったが、睡眠薬を飲んで眠りについた。強制的な眠りは浅く、いくつかの夢を見る。しかしそれは全く夢の香りがしない。現実の断片を眺めているような気がした。眠りというのはトンネルに似ていると思った。ちょうど普通の道を走るのが起きている間だとしたら、睡眠はトンネルの中だ。速度は同じだが見える風景は違う。しかし私のトンネルは決壊しているらしい。暗闇の中だから見える幻想も違和感もちぐはぐな感じもなかった。それから六時間、私は目を覚ます。ガラス瓶は満たされる。私は揺れるその液体を眺める。これは見た目には水と何ら代わりはないが、いったい何なのだろうか。指をつけてみたり匂いをかいでみたりするが判らない。この水をどうしようか。私はそう思ってガラス瓶の上についている取っ手の針金を取る。とりあえず窓辺にでも飾っておこう。そうしてサボテンとお香の道具、ウィルキンソンジンジャエールの空瓶のとなりに、透明な私の一部は置かれた。
そして私は退学届けを受け取りに行く。案外あっさりしたもので、学事センターでは事務員がすぐに用紙をくれた。私はそれに記入していく。自分の名前、保護者の名前、退学理由。理由は迷った末、勉学の志がない、というのにした。あまり妙なことを書いてかき乱されるのがいやだったのと、本当だったことも重なって、満足した。保護者が書かなくてはならないところも、私は勝手に書いた。彼らは今更私の保護者なんていうことは言えないだろうし、私は少なくともそうは思っていないのだから構わない。母は私が腕を自分で切り、八針縫ったときに言った。
あなたは蛇のようだ。執念深く何度も同じ無意味な行動を繰り返す。そうして懲りずに私たちを困らせる。あなたのような傷を持ったら一生結婚は出来ないだろうし、社会にだって出て行けない。万が一に子供が出来てもそれは気ちがいに決まっている。こんなきょうだいがいたら妹たちだって普通の人とは満足に結婚できないかもしれない。私はもう限界だ。あなたは一生施設にでも入って、閉じこめられて、精神病院から出てこなければいい。
しかしそれは詭弁であり、本人らに頼んだところで書いてくれないだろうと判断したからであった。書き終えた私は学科担任との面接に行く。研究室の乱雑な本の中で、スチールの机を前にしてはじめて見る教授と話す。話はすぐにまとまった。私は学科でも特別目立つことのない消極的な生徒だったので、止める理由もないのだろう。それに大学ともなればこのくらいドライなのは当たり前だ。もしかしたら止められるかもしれないと考えていた私が幾分そこに甘えていたのかもしれない。すべての準備が整った私はそのまま学事センターへと再び足を向ける。さっきとは違う事務員にその用紙を学生証と共に渡す。私の在籍データはすぐにコンピューターで抹消されて、その瞬間から私を閉じこめていたものは消える。透明な檻はばらばらになり、私の体は投げ出される。下に広がるのは黒い海なのかどうかも、そこの暗さに判らない。これからどうしようかということも考えられない。私はただこの閉塞感を取り除きたかっただけなのだ。閉じこめられている感覚から逃れたかった、それだけだった。仕事になんて就きたくないし、やりたいことがあるわけでもない私は部屋に帰った。明かりをつけるとすべてのものが存在感を持っていた。壁の白さが際だっているのは蛍光灯のせいだろうか。私は鞄を置いてしゃがみ込んだ。
とりあえず落ち着いたはずだった。私はすべての感覚を遮断して、目をつむった。そうすればなにかひとつくらい思考が落ちてきて、それについて考えていればいい。そうすれば夜も更けて私はまた眠る。そうやって夢だかなんだか判らない世界がぐるぐると回転して繰り返される。私は掛けたエレクトロニカのCDでの安心感を思っていたがだめだった。その前に衝動がたった。私は窓辺に行くとガラス瓶を取った。そうして床にたたきつけた。ガラスの割れる派手な音がしてそれと同時に水が散った。瞬間跳ね上がった水はすぐに床に落ちて、くすんだフローリングの上をすべりだした。指先が触れた。人の手のように不穏な温かさを持っていた。私の足全体が水で濡れてゆく。けれどもおかしい。このガラス瓶では収まりきれないほどの水が流れている。そう思って私は破片の散った辺りを見た。かけらの重なった辺りから水は湧いていた。
これはもう私ではないのだ。私の一部、透明な私ではないのだ。私はそう思いながら破片に手を伸ばす。一枚一枚拾おうとしたがすぐに止めて、どうでもよくなる。割れたガラス瓶、それにいつまでもあふれる水。絵画的。これらをこうして見るとなんだかもう絵画的だ。私はまだ止まらない水を見つめながら、その不思議とあたたかい感覚に包まれてそう思った。