アリス イン ヒステリア(赤の女王は面倒臭がり屋で、ミキサー撹拌がお好き)第14話
入った瞬間、案の定、扉は自動的に閉まる。
緊張から、心臓の音がドキドキと耳元から聞こえてきた。
「テディ……どこー?」
中は薄暗い。
高い位置にある窓から、微かな光が届くだけ。
視界が悪くて、これだと敵に襲われるまで気付けないかもしれない。
だというのに、歩く度にヒールの音がカツンカツンと廊下に響き渡る。
捕まえてくださいと言わんばかりなので、出来る限り音が出ないよう歩く。
ここは女王の城。
いつ襲われてもおかしくはないのだから。
そんな場所へ、テディはどうして入ってしまったのだろう。
もしかしてと思ったが、テディ以外の古いぬいぐるみは見つからない。
今の所、見つかったのは彼だけ。
――どうして、あの子だけ?
そう言えば……私と同じ顔をした、赤いエプロンドレスの子。
見失ってから、何処へ行ったのか分からない。
でも考えているうちに、はっとする。
「赤……」
カツーン、カツーンとヒールの音。
それは私ではなく、廊下の奥から響いてくる。
「あーそびーましょ」
あの女の子の声。
少し考えれば分かる事。
全てが私をここへ誘い込むため。
――あの子が女王。
もう一人の私が女王……何故?
理解出来ない。
私が、私自身を殺そうとするのか。
「遊ぼーよー……殺してあげるから」
確信する。
あの子こそ、赤の女王。
皆が恐れる存在。皆を殺している存在。
このままでは、間違いなく私も殺されるだろう。
――テディを見つけて、早く脱出しなければ。
彼だけは置いていけない。たとえ女王の手先だったとしても。
彼は本来、私の友人なのだから。
ここが夢の世界なら、きっとそれを思い出してくれる。
「……」
私は目に入った角部屋に隠れる事にした。
幸い、鍵は掛かっていない。
そのまま扉の奥に身を滑り込ませる。
部屋に灯りは全く無いが、徐々に目が慣れてくる。
ベッドに机、装飾品……ここは客室だろうか。
息を殺して、ヒールの音が遠ざかるのを待つ。
この部屋には何も無い。
女王から隠れるだけでなく、彼を探さなければ。
「あれー? ねーえー! 遊ばないのー?」
ヒールの音が遠ざかったら、次の部屋へ私は移る。
移って、移って……友人を探した。
そうして幾つ目かの部屋。そこは少し様子が違っていた。
客室の雰囲気ではないが、小さな机がある。
何かと言うと、歩く度に靴に物がぶつかった。驚く程に、部屋の中が散らかっている。
どうしても気になったので、手で覆いながら、一つのランプに火を灯す。
そこにあったのは……玩具。
遊び散らかした後のように、辺りに物が散乱している。
玩具の兵隊。音が鳴る玩具。
その中には、クレヨンも。
「これって……女王……?」
落ちていた一枚の絵を拾い上げる。
真ん中には赤い服の女の子。でもそれだけ。
他にも人物を描いた痕跡はあるが、全て赤く塗り潰されている。誰を描いたのか分からない。
他に散らばる絵を見ても、同じだった。
女王は自分が一番。
そうでなければ気が済まない。
そう話した猫の言葉を思い出していた。
「……あの子を探さないと」
ともかく、ここにも誰も居ない。
女王の部屋……子供部屋に用は無い。
部屋は散らかり放題で、ちゃんと閉まって箱は一つしかない。他の箱は全て、中身がぶちまけられている。
廊下から音がしないのを確認してから、私はそっと部屋を出た。
「え……?」
でも廊下に出た途端、あのふかふかした毛並みの後ろ姿を見つけた。
「テディ! 良かった、無事で!」
声を掛けると彼は振り返る。
可愛らしく、また私に手を振ってくる。
けれど、それだけ。
私に背を向けて、再び歩き出してしまう。
「ここは危ないから、一緒に外に出よう!」
私はまた追い掛ける。かつて無くした友人を。
どうしてこうも、昔のぬいぐるみに必死になるのか。
自分でも分からなかった。
追い掛けて、追い掛けて……
彼を追って大きな扉を抜けると、明るい部屋に出た。
テディはジャンプして、ここより低い場所へ下りる。
「待って!」
私も下りようとしたが、直前で足が止まった。
だって下にあるのは――
「これって……」
――ミキサー?
「ぎゃっ」
止まろうとしたはずなのに、体が下へと落ちる。
誰かに背中をドンと強く押された。
咄嗟に後ろを見ると、無表情な玩具の兵隊が立っていた。
落とされたら、そのまま落下していくだけ。
体が止まった時には、透明なガラスの壁に囲まれていた。
いや……ガラスの容器の中に居た。
足元には風車のような形をした金属。
気のせいか、どす黒い染みのようなものも見える。
「……」
ぞっと寒気がした。
「みぃつけた。もうっ! 逃げてばっかりでやんなっちゃう!」
声がして、ガラスの向こう側に目を遣る。
そこには赤の女王。
私と同じ顔の赤いエプロンドレス。
その傍らでは、クマのぬいぐるみが踊っていた。
「テディ!」
「馴れ馴れしく呼ばないで。これは私のテディよ」
違う。
私が貰ったぬいぐるみだ。
「……アンタ、誰」
彼が私をミキサーに落としたのは、きっと女王のせい。
どうしようもない嫌悪感を抱く。
同じ顔をしているから余計に腹が立って、ガラスに拳で強く叩いた。
「あたし、アンタなんて大っ嫌い」
私の問いには答えず、女王は顔を近付けて、そう吐いた。
「アンタ、誰よ! 何で私と同じ顔をしてるのよ!」
「大嫌い。死ねばいい」
会話は噛み合わない。
女王は笑いながら言う。
でも、その目は笑っていない。口角が上がっているだけ。
作り笑いのつもりかもしれないが、全く出来ていない。
「……アンタが女王ね。そこまで言われる筋合いは無いわ」
「あたし、アンタがいるだけで不愉快なの。早く消えてちょうだい」
ドンッと、女王は外からガラスを叩く。
その振動で中が一瞬揺れた。
「ここから出しなさいよ。テディを使って誘導するなんて、随分卑怯ね」
「アンタが嫌いだもん。死ねばいいのに」
女王の口から繰り返し出てくるのは同じ言葉。
嫌い、死ねばいい……そればかり。
きっと今まで出会った中で、一番言葉が伝わらない人物。
会話をしても、多分無駄。
彼女は自分の言葉しか受け入れない。
ならば早くここから脱出しなければ。
そう思って包丁を突き立てるが、ガラス相手には文字通り、刃が立たなかった。
「むだむだ! もうちょっと遊ぼうと思ったけど飽きちゃった。やっぱあたし、アンタが嫌い。さっさと消えちゃえ」
嫌な汗が背中を伝う。
女王は、相手の大切なものが探すのが面倒だから、全部ミキサーに掛けちゃう。
そう教えてくれたのは……誰だっけ?
「やめ……」
「テディ、やっちゃえ」
女王はクマのぬいぐるみを見ながら、私を指差す。
彼にとどめを刺させるつもりなのか。
テディはふらりと揺れた後、ピョンピョンと小さく跳ねる。
その傍らには、スタートと書かれたボタンがある。
見ない方が絶対良いのに、一瞬、足元の金属を見てしまった。
「……テディ! やめて!」
「ばいばい!」
クマのぬいぐるみが、大きくジャンプをする。
その着地点になるだろう場所には、ミキサーのスタートボタン。
「忘れちゃったの!? お願いだからっ……!」
私が叫んでも、空しく……テディの体がボタンの上に落ちた。
「……あれ?」
無意識に閉じてしまった目を開く。
大丈夫。
私には、まだちゃんと足がある。
それに肝心のミキサーは――
「動いてない……」
ボタンは押したはずなのに、どうしてかミキサーは起動していなかった。
助かったと安堵の気持ち。
でも、何処かで……期待していた気持ち。
「ああすまない。これはそのコンセントだったのかい」
「猫!」
「つい邪魔だったから抜いてしまったよ」
猫の手には、大きなコンセント。
首を傾げて、猫はそれを見る。
そのコンセントも、やがて興味無さそうにポイッと捨ててしまったが。
そんないつも通りの猫がガラス越しに映った。
「猫……助かった」
「どうしてそんなミキサーの中に居るんだい。涼しいかい」
「入れられたの! 別に涼しくもないし!」
確かにヒンヤリとしたが……そう続けるのは余りにも間抜けなので、止めた。
そんなやり取りをする私達の傍らで、ダンダンと強く地面を叩く音。
「なんで邪魔するの!」
地団駄を踏む女王を尻目に、猫はガラス容器の縁に上って、私を引っ張り上げた。
ようやくミキサーから出られて、ほっとする。肩の力が抜けた。
何より、今は猫が居るから。
猫は私を見つめながら、目を少し細めた。
「この城に近付いてはいけないと言っただろうに。どうして言いつけを守れないんだい」
「ご、御免なさい。あの子が女王だなんて知らなくて……それに、昔持っていたぬいぐるみがここへ入っていったから、どうしても放っておけなかったの」
「……そうかい」
ぞっとする。
猫は笑っている。
なのに、怖い。
顔は笑っているはずなのに、何故かそうとは到底思えなかった。
思わず、自分を省みてしまう。
言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。
いや。そもそも行くなと言われた場所へ行ってしまったのだから、怒らせて当然。
でも何となく、今の猫の笑い方からは……双子と対峙した時の猫を思い出した。
「どうして君も、言いつけを守れないんだい」
今のは私への言葉ではない。
猫は私ではなく、ジロリと女王を見つめた。
それで女王の肩がビクッと少し震える。
「……だってそいつ嫌い!」
「どうして仲良く出来ないんだい」
「嫌いだもん!」
女王は幼い口調で、嫌い嫌いの言葉だけを繰り返す。
私の顔でそんな事をされると、凄く複雑だった。
不意に、猫の方から溜息が聞こえた。
猫の溜息なんて、珍しい。
「逃げるよ、おちびちゃん」
そして、ぐいっと手を引かれる。
そのせいで猫に付いて行くしかなかった。
「え? 女王は! このまま放って置いていいの!?」
猫は壁を蹴り破って、穴を作る。
その穴を潜って、私と猫はミキサー部屋から脱出した。
「……逃がさない。許さない。絶対消してやる」
後ろを振り返ると、玩具の兵隊達が壁の穴を通り抜けようとしている様子が見えた。
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アリス イン ヒステリア(猫との蜜月。それを邪魔するは、同じ顔のアリスと思い出の友人)第13話|アサキ
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