実話怪談 先回りする名前

 今年、Iさんは定年を迎えた。そんな彼の最近の日課は散歩だった。
 朝起きて朝食を済ませた後、自宅から少し離れた神社まで歩く。お参りを済ませた後に、いつものように記載ノートに自分の名前を書こうとした。
「おや」
 するとそこには既に自分の名前が書かれていた。
 Iさんは不思議に思いながらも、きっと誰かのイタズラだろうと考えた。

 数日後、彼は友人とお昼ごはんを食べにレストランに来ていた。お昼時のため、店員は忙しそうにしている。順番待ちの紙に名前を書き、待つことにする。しかし。
 I 二名
 そこにはすでにこう記入されていた。
 もしかすると、同じ名前の人がいるのだろうか。しかし辺りを見ても、Iさんたち以外には誰もいない。
「二名でお待ちのI様でしょうか?」
「あ、そうです」
 友人は、Iさんが名前を書いたと思っていたので、そう答えた。
 席に案内され、料理を食べている間、Iさんは入口の方にずっと意識を向けていた。しかし二人連れが入って来ることは無かった。

 その後も、行く先々で自分の名前が書かれていた。Iさんには自分の名前が先回りをしているように感じられた。
 Iさんは最初、不気味に感じていた。しかし慣れてしまい、いつの間にか何とも思わなくなっていた。

 ある日、Iさんは自分の生前葬を行った。自分が元気なうちに済ませたいと考えていたのだ。式には独り立ちした息子や友人、会社の同僚が来てくれた。つつがなく進行し、無事に終得ることが出来た。
 式を終え、僧が紙を手渡してきた。そこにはIさんの戒名が筆で書かれていた。達筆だった。
 Iさんは礼を言った。しかしなぜか僧の顔が曇っていることに気づいた。どうしたのかと尋ねる。
「これ私が書いたんじゃないんですよ。いえ、この名前にしようとは思っていたんですがね。私が書く前に、紙にすっと浮かび上がって来たんです」
 聞けば、書き直そうとして紙を変えるも、何度も浮かびあがってくるのだという。
「気持ち悪いですよね。変えましょうか」
「いえ、それでいいです。何だかそれが正しい名前のような気がします」
 Iさんはそう答えた。

 因果関係は不明だが、それ以降Iさんの行く先で名前が書かれていることは無くなったそうである。

いいなと思ったら応援しよう!