小学生の持つ本
会社員のKさんに聞いた話だ。23歳の当時、Kさんは通勤に地下鉄を使っていた。
ある日、向かいの席に座っている男の子が目に留まった。ランドセルを背負い、ポロシャツを着ている。小学生の、恐らく1、2年くらいだろう。その子はランドセルを開けると、中から一冊の雑誌を取り出した。その雑誌はアダルト雑誌、つまりエロ本であった。
最近の子はずいぶんませているな。俺が子供のころは、通学路に落ちていたのを皆で回し読みするくらいだったのに。
ふと、Kさんは子供の様子がおかしいことに気づいた。
目が一点にとどまらず、小刻みに動き続けているのだ。しかも右目と左目がバラバラに。
「僕、だいじょうぶ……」
声を掛けようとした、その時だった。子供は雑誌を閉じ、座席の側の手すりを掴んだ。直後、電車が大きく揺れる。Kさんは座席から滑り落ちた。
「ただいま、電車を緊急停止させる信号が入ったため、車両を停止させております」
車掌のアナウンスが聞こえた。
電車が動き始めた。なぜこの子は電車が止まることが分かったのだろう。それとも偶然にすぎないのだろうか。
子供は再びエロ本を読んでいた。やはり目は小刻みに動いている。彼はページに指を添わせていた。突然、その指をページから上げた。そのままKさんの右隣辺りを指さす。何かを確認するかのような表情だった。指をさされた場所には女性がいた。吊革につかまっている。
まさかあの女性に何か起こるのか?
しかし、しばらくしても何も起こらなかった。女性は吊革を掴んだままである。何の変化も起こっていない。
きっと考えすぎだったんだろう。
Kさんは子供に対する興味を失った。そしてその後、眠ってしまった。当時Kさんは残業続きで、あまり寝ていなかったのだ。
辺りが何やら騒がしかった。Kさんが目を覚ますと、どうやら電車が停車しているようだった。開いたままのドアから、駅員が入ってきている。視線をずらすと、先ほどの女性が泣いていた。そばでは男たちが争っている。
「てめえ、離しやがれ」
「この、痴漢野郎。自分が何をしたのか分かってるのか」
痴漢。まさか、分かったのか?
子供はじっと女性の方を見ていた。顔にはにやけ面が浮かんでいる。その口元からはよだれが垂れていた。
この子供は女性を指さす前に、エロ本を読んでいた。電車が止まる時だって、直前まで読んでいた。まさか、あそこに未来が書かれているのか?
Kさんは座っている子供に近づいた。
「なあ、僕。子供がそんな本読んじゃダメだろ」
Kさんは子供の読んでいる本を上から覗き見た。
女性の裸体が映っていた。しかしその肌には文字が浮かんでいた。体毛やシミが集まったり、離れたりすることによって文字が形作られていたのだ。あまりにもびっしりと浮かんでいるので、Kさんは見ていて目がおかしくなりそうだった。
子供がKさんの顔を見た。無表情だった。
「おじさんは、37歳だね」
そう言うと、ドアから走って出て行ってしまった。
「ちょっと、待て……」
しかし追いかけることは出来なかった。電車に乗る人が大勢やってきたからだ。彼らを何とか避け、Kさんは急いで子供を探した。しかし、どこにもその姿は無かった。
その体験から月日は流れ、Kさんは来年の5月に37歳になるのだという。
「一体何が起こるんでしょう」
Kさんは、不安げな顔でそう言った。