童貞 1993 二階堂
大事MANブラザーズバンドという歌手の歌う「それが大事」が虫唾が走るほど嫌いだったのは、高校時代に同級生だった二階堂がこともあろうに朝礼の際になぜか壇上に立ってそれを熱唱したからだった。大事マンにはなんの罪もない。悪いのは二階堂である。これもまた風評被害の一種なのだろう。
二階堂の何が嫌いだったかというと体育助手教員になぜか二人の女子がいて、どうもそのうちの一人に照準を合わせたらしく、盛んに接触を試みて、卒業間際にはまあまあの仲の良さになっていた。今考えると17の男も23の女も、正直目くそ鼻くそだが、当時は大学卒業したての女子と話すなんて、雲の上のことだった。
二階堂はラグビー部とJRCというボランティアサークル(という名の帰宅部)に入っていて、JRCではなぜか部長だった。
私がなぜJRCに入ったかというと、もともと放送部に入っていたのだけれども、普段は7〜8人くらいしか入部しないはずの弱小部に、その年は30人という人数が入ってしまい、部室も手狭、趣味も合わない、先輩との関係もギクシャクという過程を経て辞め、仕方なく帰宅部的な扱いのJRCに所属したのだった。二年生の頭である。
二階堂は、元日本代表サッカー選手の槙野智章氏に似ていた。槙野氏のキャラは嫌いじゃないが、二階堂のことを思い出すので、テレビに出ているのを見るとチャンネルをかえてしまう。イケメンというわけでもないが、さりとてそのエネルギッシュな外見は、きっとこれを好む異性もいるだろうと推測された。かくいう私は白い豚である。飛べない豚はただの豚だ、と当時公開されていなかったはずではあるが、後年、その言葉を聞いて、ああ俺のことだなと薄く笑った。
二階堂ソングというのがあった。二階堂が好きそうな歌ということだ。メジャーどころの、メッセージ性がダイレクトで、自己卑下もせず、真っ直ぐに相手にエールを送るような歌のことである。私は、あらゆる歌謡曲を「二階堂的なるもの」/「二階堂的ではないもの」にわけ、「二階堂的なるもの」を脊髄反射的に気嫌いしつつ、「二階堂的ではないもの」から、選んでいた。
DEEN、二階堂。J-walk、二階堂、B‘zは愛のままにくらいから二階堂。ザ・スミス、非二階堂。ストーンローゼス、非二階堂。ガンズ、ギリ二階堂。ボンジョビ、ギリギリ二階堂。チープトリック、非二階堂。ドナルド・フェイゲン、非二階堂。スタイル・カウンシル、非二階堂。デュラン・デュラン、二階堂。ワム、二階堂。スクリッティ・ポリッティ、非二階堂。なんだかよくわからなくなってきた。
なぜ、二階堂のことがそれほどまでに嫌いだったかというと、童貞ではないことを公言していたからだったと思う。当時、童貞はできるだけ早く捨てるのが良いとされていた。それは、ポパイとかホットドッグプレスの罠だったと伊集院光がラジオで言っていた。その通りだったと思う。そして、社会的に男の方が立場が上である、という通念が信憑性を帯びていた。その通念を信じ切っているものほど、童貞を捨てるのが早かったに違いない。もちろん、顔、肉体、コミュニケーション、知性、センスに欠損がないものほど。
今思えば、14歳で童貞をすてたと公言している二階堂は、犯罪者でもよろしかったのではないかと思われるが、一度捨ててしまうと、自転車にしばらく乗れなくても体が覚えているように、自然に何事もできてしまうものらしい。二階堂はその自らの成功体験(当然、ダブルミーニングだ)に自信を得、それが次の成功にフィードバックされるという正のフィードバックループに入っていた。後年システム論で、フィードバックループの話を聞いた時、思い出したのが二階堂のことだった。
二階堂はだからといって、頭も悪くなかった。少なくとも落ちこぼれの私よりも遥かに上だった。運動部で、非童貞で、中間的な成績。一方私は、帰宅部で、童貞で、成績もどん底。ゴーリキーの『どん底』というタイトルを見た時、高校の私を思い出したほどである。そう考えると、二階堂がモテていたのもわからなくはない。けれど、こともあろうに二階堂は、そんな立場の優位性を周囲に証明するために、助手の先生にコナをかけ始めたのである。
助手の先生は二人いた。どちらも女性だった。別に、二人とも取り立てて不細工ではなく、童貞の私から見たら、吉祥天女だった。当然、地獄の小鬼が手を出せるはずもない。ただ、多くの生徒は自分の容姿を棚に上げて、二人のうちの一人を美人だと、評価していたのである。明らかに容姿が私より劣るアイツですら、そのような評価を下していた。
それに対して私は腹が立った。そして、二階堂はその美しいとされた方、これから便宜的にその女性をシロとよぼう、シロへと接近していった。シロは、ウィンクの鈴木佐智子に似ていたように思う。私には、鳥に見えた。鳥に発情してるのか、と、やっかみ半分に思っていた。けれど、学年の8割は鳥が美人だというのだ。いや、シロじゃなくて鳥とやっぱり呼ぶ。
もう一人の方をクロと呼ぼう。なぜシロとクロかというと自己紹介の時に着ていたジャージの色がそれだったからだ。クロは筋肉質で、水泳選手を全員足して平均を取ったような顔をしていた。私は、クロの方が良いではないか、と二階堂に対する反発から、周りに触れ回ることにした。
当然ながら、このキャンペーンは失敗に終わる。終わるどころか、こいつクロに恋してるんだってよ、という噂話が出回った。それはクロの知るところになって、私はキモいやつのレッテルを貼られるようになそれもこれも二階堂に対する敵意から起こった出来事であるから、言い訳もできない。クロのことが本当に気に入っていたかというと、それは嘘になる。私のような童貞に、人の審美などを判定できるわけがない。
私は、私がされたと同様、鳥に二階堂の劣情を訴えることにした。タイムマシーンがあったら、改変したい過去の一つに、この告げ口がある。私は意を決して、放課後の体育準備室に行った。
「あの、鳥先生いますか?」
「あ、はい、私ですが」
「先生、二階堂くんに言い寄られてるって本当ですか?」
「え、誰から聞いたの?」
「二階堂が自分で言いふらしています」
「ああ、そう。あの子、面白いよね。」
「面白い、とはどういう意味ですか?不快にならないんですか?」
「全然、結構、話すと面白くて、紳士的だよ。」
「アイツは、そうやって先生に告白しようとしてるんですよ?」
「いやー、それはないんじゃない?あたし達、居て2年だし」
「ちょうど卒業じゃないですか」
「卒業したら、また新しい女の子達がいるものよ」
「先生には彼氏がいるんですか?」
「今はいないよ」
「二階堂に告白されたらどうするんですか?」
「んーわからない。でも、あの子積極的だし、出世しそうじゃない?」
「そうですか…わかりました。すみません。お時間とらせてしまって申し訳ありませんでした」
出世…その言葉を私はどう考えていいのかわからなかった。ただ、今わかることは、鳥が男を可能性の束として見ていた、ということである。私はいわゆるナンバースクールと呼ばれる公立高校の最下位学生で、大学受験すらおぼつかぬ人間であって、周囲と比較すると明日に何の自信も希望も持てなかったけれど、ひとたび大きな視野で二階堂を見れば、成績もまあまあ、容姿も性格も良いならば、結構相手としてのポテンシャルを秘めている、し、よしんばそれが一時期の遊び相手であったとしても面白いなら、全体としてはオッケー、となりうるのだということだ。
この時、私は鳥の発言の真意を理解していたわけではないが、感覚的に自分の世界とは違う何かに触れて、それ以上は進めないと思ったのであったのだろう。
ただ、この直談判は、二階堂に逆にいい結果を及ぼしたらしい。おそらく、私が別れさせるために行った直談判の内容を鳥は二階堂に全く逆の内容で、私が後から二階堂に責められないように伝えてくれようなのだ。鳥も悪い人ではなかったのだろう。悪いのは私一人である。
JRCは、ジュニアレッドクロスの略で、要するに赤十字社の活動募金のボランティアを年1で希望者がやるというものだった。応募者なんか当然いないから、二階堂が指名をするのだけれど、なぜか私が呼ばれた。二階堂のことが死ぬほど嫌いなことは私の心の内側にあるものだったので、知られてないはずだった。
「何で、俺なの」
「俺はさ、お前みたいなやつに残って欲しいんだよ」
二階堂がこの時何を誤解していたのかはわからなかったが、鳥がうまく言ってくれたんだと後に理解できた。
大嫌いな二階堂と、駅前で活動募金の声かけをした。
…1993〜、恋をした〜、君に夢中〜、普通の女と、思っていたけど…
「俺、この曲好きなんだよね、いい歌じゃない?」
Classの「夏の日の1993」、それを私は心のノートに「二階堂」と書き付けた。
二階堂が選ぶ歌は、一発屋ばかりなのが笑えたが、懐メロ特集でこれらの曲が流れるとあれだけ嫌いだった二階堂のことが懐かしく思い出されてしまうことに、今も何だか不愉快になる。
(了)