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「切腹」にみる「人の死の意味を」、我々は生かせるか

死刑囚として判決を下された人は、「自分の罪を反省し心を入れ替える」という話を昔聞いたことがあります。
であるなら、人が死ぬということは誰もが分かっているはずなので、罪を犯す人がいなくなってもいいと思うのですが、そうはならない。
頭で「死」を理解しながらも、生き方を正すまでにはいかないのが現実のようです。
そこで分かるのは「死の捉え方で生き方が変わる」と言えます。
 
そう考えると武士の「切腹」は、相当の覚悟があって為せるものと思います。
私など、とても自らの腹を切り裂くなど、想像もできません。
それを武士は、なぜできるのでしょうか。
自分の命に代えても、恥ずかしい生き方をしない、という規律を自らに課しているからではないでしょうか。
もし自らが「公(おおやけ)に反した生き方をしたら、自ら腹を切る」
凄いですね。
 
最近はまるで放送されませんが、年末と言えば「忠臣蔵」という時代劇の放映がありました。
播磨(はりま)赤穂藩主浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)の仇を討つとして、吉良上野介(きらこうずけのすけ)を大石内蔵助(おおいしくらのすけが)引き入る赤穂浪士が討ち入った物語です。

そのきっかけとなったのは、その9ヵ月前に起こった江戸城内での刃傷事件です。
殿中で、浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけたのです。
浅野内匠頭が、武士として吉良上野介に恥をかかされたからです。

これに対して江戸幕府は「喧嘩両成敗」とはせず、吉良に対して一切のお咎(とが)めなく、浅野内匠頭を即刻切腹、領地没収としたのです。
それに対し大石内蔵助は、江戸幕府が警戒するなか「仇討ちなどしない」様子を徹底して装いながらその機会を準備しながら待ちました。
そしてついに元禄15年12月14日 (旧暦)に仇討ちを実行したのです。

ところが幕府としては、許し難い行為です。
自首した赤穂浪士を捕らえ、幾つかの藩に預けます。
幕府としては当然打ち首にしたい。
しかし民衆は、「義挙」と称して称え、将軍徳川綱吉に異を唱える幕臣もおり、形だけであっても武士の名誉を認める「切腹」を命じたのです。

考えるに、結果は同じ「死」であっても「打ち首なるか」「切腹」になるかは大きな違いです。
それは、罪人として生きたのか、武士として生きたのかの違いになるからです。
簡単に「切腹」のことを書いていますが、切腹ができるのは本当に凄いことです。
人として「どう生きるかの覚悟」があるからだと思います。
 
武士の「切腹」という凄い行為から武士道を考えてみると、武士道精神にはこうした死を覚悟した身を徹する生き方が根底にあって、初めて成り立つように思います。
それを現代に生きる我々は生かせるか。
死ぬ事を求めるのではなく、死をどう受け止めるかであれば現代でも十分生かせるはずです。

『武士道』と言えば、新渡戸稲造が有名です。
新渡戸稲造は武士道精神として、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己の8つを挙げています。
一つ一つ勉強するだけでも、生き方に大いなる参考になると思います。


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