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ある宮司の話「努力もしないでお守りに頼る」のは間違い
ある神社の宮司さんのお話しです。
お札の頒布所に、おじいちゃんとおばあちゃんが、受験生である孫のためにお守りを求めに来た。
「どのお守りを買ったらいいのか」と聞いてきたそうです。
宮司は、それぞれのお守りの説明し、受験生にふさわしい何点かも紹介した。
さらにおじいちゃんは、「どれがいいのか教えてほしい」と聞いてきた。
どのお守りを求めるかは、お客さんが決めること。
でもしつこく、どれがいいのかと聞いてくるので、宮司はあるお守りを勧めた。
他にもお守りを求める人の列ができていたので、これでおじいちゃんとの話は終わりと思ったのに、さらにおじいちゃんは、「これで本当に孫が合格しますね」と聞いてきたそうです。
宮司は、そんな思いを持ってお守りを購入したり、神社に参拝していては間違いを放っておくことになる。
これは他の人を待たせても説明しなければならない。
と決めて、宮司はそのおじいちゃんおばあちゃんに話をしたそうです。
お守りを買ったから、合格するのではない。
合格する人もいれば、不合格の人もいる。
神様は、全ての人が幸せになって欲しいと願っておられる。
常に見守っていてくださる。
努力した人には、それにふさわしい神様のお導きをいただけるようになっている。
受験に限らず、何事も努力が必要である。
どこの学校に行くと決めたら、そこに目指して受験勉強をする。
それもしないでで、合格だけを願うのは間違い。
努力したことに対して神様が後押しをしてくれる。
その人の人生にふさわしい縁を与えてくださる。
聞けば、そのお孫さんは勉強しないらしい。
でも、おじいちゃん、おばあちゃんとしては、勉強をしない孫ではあるけれども、希望する学校に行かせたい。それで神頼みでお守りを求めに来たどうです。
頑張っている人は、努力しています。
努力もしないで、良い結果を得ようとするには間違いです。
これを今朝聞いて、清々しい気持ちになりました。