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【エッセイ】ポンコツな東大院生

東大大学院に通っていた頃は、お恥ずかしい話なのですが、人生で一番暇だったように思います。毎日がずっと夏休みのような感じで、モラトリアムしていました。

おそらく東大大学院でも、研究に熱心な院生や、指導教官の厳しさ、また実験などで毎日研究室に通わないと作業が進まないような分野であれば、凄くハードな院生生活だと思います。またそのような研究に没頭する生活を、才能が伸びる院生時代に過ごさないと、研究者としてやっていくことは難しいのではないかと思います。

私の所属していた研究室は、指導教官が院生の自主性を尊重する方針でした。また、研究もフィールドワークなどがメインで、細かいことは全て院生自身に任されていて、やりようによっては、ほとんど自由に過ごすことができました。研究室のミーティングも、1カ月に1回程度で、真面目に毎日研究室に通って研究する人もいましたが、研究に関係なく遊んでいる人もいました。また、研究室から足が遠のく人もいて、私もその一人でした。研究者になれるならば、研究の道に進むのもいいとは漠然と思っていましたが、それよりも、超就職氷河期の時代で、東大生といえども、周囲でも就活に苦労している人も少なくありませんでした。学部卒で就職するより、とりあえず院に進んで、氷河期が氷解するのを期待するという邪な考えもありました。

さて、積極的にモラトリアムを満喫するのかといえば、そういうタイプでもありませんでした。一人暮らしのアパートに引きこもって、インターネットにハマっていたり、後はひたすら眠っているという、本当に自堕落な生活を送っていました。ずっと眠っていては時折起きて、食事はとり、また眠るという生活を1ヶ月くらい送っていた時期もありました。メンタルの不調でそういう状況だったということでもなかったとは思いますが、ただ楽に過ごす方に流れていたのは、事実です。社会人になってから思えば、あれだけ自由な時間があったのだし、最高の研究環境にいた訳で、もっと研究に打ち込めば、研究者への道も開けていたのかもしれないです。そうでなかったとしても、旅なり、部活なり、バイトなり、友人との交流なり、学生のうちにしかできないことをやっていれば、人生の経験の厚みも増して、視野ももう少し広がっていたのかもしれません。学生時代の潤沢さにその当時は気づかずに、社会人になってから、あのときもっとちゃんとやっておけば良かったと、つくづく思い返します。

研究室のミーティングには、参加して、研究計画や進捗状況、論文のまとめに向けての議論などを指導教官と行うのですが、ミーティングでは、教官は研究に大変厳しく、院生が恐る恐る進捗のレポートなどを報告しても、なぜこのデータだけで、この結論が推論できるなどといえるのか、とか、このようなテーマを選んで研究する意味があるのか、とか、構造という意味を全くわかっていないなどと、バッサリと斬られる始末です。教官の斬れ味が大変鋭く、その一言、一言から多くの示唆も与えられ、研究がより深まる貴重な経験でした。一方で、受験勉強はできたとしても、未知の事象を明らかにするという研究は、本当に優秀でないとやっていけないと思い知らされることにもなりました。こうして、博士課程に進むことはせず、修士で修了して就職し、ただのサラリーマンとなって今に至ります。

ポンコツな学生でしたが、教官の指導のもと、なんとか修士論文は書き上げ、学会の査読付き論文に掲載されたのは、今となってはよい思い出です。

(おしまい)
#東大 #大学院 #モラトリアム #エッセイ

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