【超本格派小説】スカイ・ダスト ~日本沈没から10年後の世界~
■あらすじ■
日本沈没から10年後。
日本人の総人口は148万人まで減り、日本人は絶滅危惧種と揶揄されるようになった。
この物語の主人公は148万人分の1人の日本人、鳩原修二。
彼は只のタクシー運転手だったが、その運転技術を見込まれ“スカイ・ダスト”と呼ばれる空戦特化部隊に誘われる。
“スカイ・ダスト”は日本沈没は自然的要因で起きたものではなく、人為的に起こされたものとして調査しており、そのことを知った鳩原は日本沈没の真相を調べるため“スカイ・ダスト”への入隊を受け入れる。
日本沈没はなぜ起きたのか。どの国が、誰が、どうやって起こしたのか。謎を追い、タクシー運転手は空を駆ける。
■本編■
日本沈没。
小説、映画、ドラマにおいて幾度と描かれたその仮想が、現実になったのはつい10年前のことだ。突如連続して起きた大地震により日本は海に沈んだ。
2040年4月4日AM4:32。まず1度目の大地震(俗に日本大地震・第一次震災と呼ばれる)の影響で富士火山帯が相次いで噴火。東京都、山梨、静岡、神奈川は噴火の影響を受ける。特に甚大な被害を生んだのは降灰。噴火により巻き上げられた灰が降り積もり交通機関が麻痺。物流も滞り、作物や水も汚染された。首都東京は降灰により一時的に機能を失い、その後の対応に遅れることになる。
2040年4月4日PM10:34~PM11:00。畳みかけるように北海道、福岡、宮崎でほぼ同時に大地震が起きる(この3つの大地震を日本大地震・第二次震災と呼ぶ)。これをきっかけに津波・地殻変動が日本各地で起き、日本は外から内にかけて沈没していった。
そして最後――2040年4月5日AM3:00~AM6:21。残った内陸部を中心に大地震が群発(第三次震災)。最後にはすべての日本大陸は海に沈んだ。第一次震災から第三次震災までに起きた地震の合計数は小さなものも含め60~80と言われている。
1度目の大地震から日本が沈没するまではおよそ2日。
2日間に脱出できた日本人と、船や高い建物、浮き物に避難していて日本沈没後に他国の救助隊に救助された日本人、合わせても数にしておよそ8万人ほどしかいなかった。
ここまで生存者が少なかった理由は多くある。まず地震の予兆がまるで無かったこと。おかげで一切の対策ができず、最初の大地震をノーガードで受けてしまった。これにより首都の機能が麻痺し、全ての行動が後手になってしまった。政府が統率を取ることができず、避難誘導がうまくいかなかったのである。
さらに要因として隣国と政治的に関係が悪かったことも挙げられる。近くに移住先を確保できず、他国からの救助隊もアメリカを除きほとんどが来なかった。果てには火事場泥棒のような者たちが現れる始末だった(日本人の約300人は拉致されたとの情報もある)。
そして日本沈没という現実味のないことを受け入れることができたのがごく少数だったことも挙げられる。つまりは危機感の欠如。故郷を捨て、外に逃げる選択をできた者が少なかったのだ。
噴火や津波の被害で幾つかの空港が機能停止になったことも要因の1つ。
本気の天災に成す術なく、日本は滅んだ。
在外日本人約140万人+日本脱出に成功した日本人約8万人で、約148万人。これが今の日本人の総人口である。しかしそれも10年前の統計……。
円の価値は0になり、移住したものの金銭的に困窮する者がほとんどだった。女は体を売り、男は時給500円もない仕事に駆り出される。当然、性病や過労で倒れる者も出てくる。
日本人同士で結婚すること、子供を産むことも減り、純正の日本人の数は年月が過ぎるほどに減っていき、いずれは絶滅するだろうと言われている。
2050年現在――
選ばれし148万人の日本人、その内の1人、鳩原修二。
彼の日常が壊れる所から物語は始まる。
2時過ぎの、閑散としたラーメン屋でラーメンを食べるのが好きだ。
大将は俺のラーメンを作り終えると、店内にあるテレビに集中する。客は俺も含めて精々3~4人くらい。そこでのんびりと麺をすするのが堪らない。平和な日常を実感できる。鳩原修二28歳のささやかな楽しみだ。
職業タクシー運転手。独身、1人暮らし。週5日はタクシーを乗り回し、残りの2日はジムに行ったりスパに行ったり、最近は整体にも通い出したな。
芸能人とか警察官から見たら俺の日常は酷く刺激がなくつまらないモノなんだろうな。でもこれでいいんだ。この昼過ぎのラーメンと、仕事終わりのビールがあるなら他に欲しいモノなんてない。
刺激なんていらない。
この日常を守りたい。守り――たかった……。
イギリス・ロンドン。駅前のタクシー乗り場。
鳩原の日常は風変わりな男が乗車してきたことで壊れた。
「後ろの車に追いつかれたら頭をぶち抜く」
そう言って後部座席から銃口を向けてくる目出し帽の男。
鳩原は涙目になりながら「は、はい! 了解であります!」と車を発進させる。
「……あの、ちなみになんですけど、後ろの車って……」
「警察だ」
「……ですよね。あはは」
ピーポーピーポーとサイレンが鳴り出した。
あと1人客を乗せたらラーメンを食べに行こうと思っていたのに……鳩原はトホホと肩を落とす。
窓から行きつけのラーメン屋がチラッと見えた。鳩原と同じ日本人が経営しているラーメン屋で、日本特有のラーメンの味を持つ数少ない場所。鳩原はベッドの上の恋人を見つめるような瞳でラーメン屋を一瞥し、目の前に集中する。
追いつかれたら殺す。と脅された以上、後ろの車に追いつかれるわけにはいかない。
鳩原は全力でパトカーから逃走する。
「お、おい! どこに行くつもりだ!?」
鳩原は表通りから左折し、車1台通るのがギリギリの道に入る。
「て、テメェ! こんな狭い道にわざわざ行くなんて、まさかわざと捕まる気じゃないだろうなぁ!!」
「違います。俺は全力で相手を撒くつもりですよ」
引き金がカチカチと鳴るが、鳩原は気にしない。運転に集中する。
パトカーも当然、鳩原たちを追って小道に入る。
「馬鹿野郎!!」
目出し帽男が叫ぶのも無理がない。なぜなら車の行き先は行き止まり。車を傾けないと通れないぐらいの建物同士の隙間しかない。
「お客様、シートベルトをしっかり装着してくださいませ!!」
「え?」
鳩原は脇道にある階段で片輪を上げ、車体を傾ける。
「うおっ!?」
車体を30度傾けたまま、正面の建物の隙間に入り、浮いた片輪を壁に押し付けながら走行する。
そのまま大通りに出て、車体を戻し速度を出す。
ただのタクシー運転手にしては卓越した技術に、目出し帽男は驚きを隠せない。
「……お前、無茶苦茶だな」
「あなたがそれ言います?」
時は鳩原のタクシーに目出し帽男が乗り込んだところまで遡る。
目出し帽男がタクシーに乗るのを目撃した警官2人は、タクシーより20m後ろにあるパトカーに乗り込んだ。
「あんの銀行強盗! タクシーをハイジャックしやがった!!」
そう言って舌打ちするのは黒人の男警官。名はオストリッチ。
オストリッチは助手席に乗り込む。
「そんなんで私から逃げられるものかよ!」
金髪の少女、トキが運転席に乗る。
先に発進するのはタクシー、遅れること4秒でパトカーが発進する。
「追いつけるか?」
「一介のタクシー運転手に私が後れを取るとでも?」
「猫がチーターに競り勝つぐらいありえねぇな……」
発進してから数秒でトキは異変に気付く。
渋滞とまでは言わないが混んでいる車道。目前のタクシーは速度を上げ続けたまま、同車線の車も対向車線の車も躱していく。
「おいおい、なんだアイツ!」
「このトキ様と本気でやり合う気か……」
トキは唇を舐め、
「面白れぇ。ただの子猫ちゃんじゃないらしいな」
タクシーが左折し、幅のない道に入る。
「うっし! あのバカ! 幅のねぇ道に入ったぞ!」
オストリッチは笑う。
パトカーはタクシーを追い、左折する。
「見ろ! この先は行き止まりだ!」
助手席の浮かれ野郎は無視し、トキは冷静に、目の前の情報を処理していた。
「いや」
トキには1つのルートが見えていた。常人ではたどり着けない、一流のみが見える道。
「……冗談だろ。まさかやらないよな……?」
そのまさかだった。
トキの脳内イメージをなぞるようにして、タクシーは階段を使い、片輪を浮かせた。
「「んなっ!!?」」
やりやがったぜアイツ! トキは口元を歪ませて言う。
「まさかあの野郎、あの態勢で建物の隙間に入る気か!?」
「入る気だよ! こっちもやるしかない!!」
「待て待てトキちゃぁん!! 無茶だ! 後は別動隊に任せよう!!」
「私の辞書に……なんだっけ? ――あ! アレだ! 成功の文字はなあああああい!!」
トキはタクシーと同じ方法で片輪を上げる。
「じゃあやっちゃダメだろおおおおおおおおおっ!!!」
パトカーも車体を傾けたまま、建物の隙間に入っていく。
「マジか」
鳩原はバックミラー越しに追いかけてくるパトカーを確認し、気怠そうに頭を掻いた。
「……職務に忠実な奴か、恐ろしい馬鹿かの二択だな」
鳩原はパトカーに様々な揺さぶりを掛ける。法定速度お構いなしの爆走、Uターン、逆走。そのどれもパトカーはピッタリついてきた。
「本当に警官か? 法律ガン無視だな」
「おい! 大丈夫なのか! このままじゃ……」
「心配無用です。時間は稼ぎました」
時間は18時半。
サイレンの音が聞こえる。
今度はパトカーのモノじゃない。このサイレンは、跳ね橋が上がることを知らせるモノ。
いま、タクシーの正面の道は封鎖しようとしている。この先にある跳ね橋が上がっているためだ。鳩原は跳ね橋の角度、現在のタクシーの速度、全てを頭の内で整理し計算する。
「おい、お前がやろうとしていること、わかるぞ」
「そうですか」
「……できるのか? できるんだな!?」
「俺は無茶はしませんよ」
鳩原にとって、これは無茶でもなんでもない。全て計算の上の安定安全な策。
タクシーは遮断桿をぶち破り、上り途中の跳ね橋に乗り込む。
速度を全開に。跳ね橋を発射台に橋と橋の間を飛び越える。
「うわあああああああああっ!?」
鳩原は跳ね橋を飛び越え、すぐにブレーキを使って下り坂を丁寧に走る。
「……す、すげぇ」
「どうも」
「でもよ、アイツらも飛び越えてくるんじゃないか?」
「無理です。今のタイミングがギリギリ、ドンピシャのタイミングです。もし俺たちの後を追って飛んだのなら、海に落ちてます」
技量の問題じゃない。時間の問題だ。あのパトカーの位置からでは全速でいっても飛び越えるのは不可能。
カーチェイスは鳩原の勝利で終わった。
「へ、へへっ! 感謝するぜアンタ……報酬は弾むよ。いくら欲しい?」
銀行強盗は札束が入ったカバンを見せる。
鳩原はタクシーの料金メーターを指さす。
「メーターの分で結構ですよ」
鳩原はまた気怠そうに頭を掻いた。
「ガッデム!!」
上がり切った跳ね橋を前に、タクシーから降りたオストリッチは地団駄を踏む。
「……まさか私から逃げ切れる奴がいるなんてね」
悔しさを滲ませて笑うトキ。
「地上での勝負はアンタの勝ちだ。だが、ここから先は話が別だ」
トキは首に掛けた笛を口に咥え、鳴らす。
笛の名はキーホルン。それは翼を呼ぶ笛。(人間が拾えるほどの)音が響く範囲は精々100メートルだが、その音波は数十キロ先まで届く。
音波を聞いたイエローカラーの戦闘機はひとりでにエンジンを燃やし、格納庫から飛び出す。
戦闘機は空を飛び、主人の元へ駆けつける。
「行くよ。ガシェットエース」
戦闘機を背後に据えて、トキは冷淡な顔つきをする。
戦闘機の名はビルド。重力制御装置、32コアブースター(1本の筒の中に小型の32個のブースターを積んでいる加速装置)、核熱遮断電壁、クリアメタル装甲を搭載した最新鋭の航空機だ。
重力制御装置による空中での静止、32コアブースターによる細かな出力・速度調整、核熱遮断電壁とクリアメタル装甲で雷や雨や突風といった自然への対応力を可能としたまさに万能の航空機。空の王者。
ビルドを呼ぶことは彼女にとって屈辱的なことだった。言うなれば、組手で負けたからマシンガンを持ってきたようなモノ。
ここから先は勝負ではない。チェックメイトの掛かった後のチェス、ただの作業だ。
目出し帽男を安全な場所まで届ける。
その後で警察に連絡し、事情を説明する。
もしも目出し帽男が口封じで殺りにきたらどうしよう……。
「……そうなったらドンマイ、ってことで」
鳩原はハンドルを片手で握り、自分の肩をトントンと叩いた。
すでにパトカーは撒いた。あと警戒すべきは検問のみ。検問を敷く場所は予想が付くからそこを避ければ問題なし。
もし無事にこの困難を乗り切ることができたらラーメンを食べよう。チャーシュー丼も食べよう。スリおろしにんにくをたらふく入れて、コショウを掛けまくって食べよう。
ラーメンの味を想像し、涎に醤油スープの味が染みた時だった。
巨大な影が、正面の地面に現れた。同時に、耳をつんざくようなエンジン音が響く。
「なんだ……なにが――!?」
窓を開けて、空を見る。
鳩原は飛来してきた物体を見て口をあんぐりと開けた。
「んなぁ!?」
イエローカラーの戦闘機がこちらを見下ろしていた。
一瞬で唾液の味は酸っぱくなり、汗がダラダラと噴き出した。鷹に狙われた兎……いや鼠の気分だった。
機体の腹に取り付けられた機関銃がタクシーに向く。鳩原は窓を閉め、ハンドルを切る。
「ビルドか! しかも武装している!! 嘘だろ相手は空警だったのか!!」
ビルドを操り、世界中を飛び回って重犯罪を駆逐する組織World Sky Police。WSP、空警、ツバメ、スカイ・ダストと呼ばれる世界最大最強の警察組織。
現地警察を相手にしていたと思っていた鳩原は動揺を隠せない。
「おいおいおいなんだありゃ!? なんで戦闘機が出てきやがるんだ!!」
「こっちが聞きたいですよ! 空警に目を付けられるとかなにしたんですか!?」
鳩原はハンドルを繰り返し切り、タクシーをジグザグに走らせる。機関銃が火を噴き、タクシーの残像を貫いていく。
「俺はただの銀行強盗だよ!」
「たかが銀行強盗に空警が出張るわけないでしょ! 他に何かしたんじゃないんですか!?」
「してないしてない! これまで10回ぐらい銀行強盗したけど、他の犯罪は何もしてないって!」
「……10回も銀行強盗してれば目を付けられても仕方ないな」
鳩原は冷静に状況を分析する。
「近くに商店街があったはずだ。あそこなら下手に発砲はできないはず……! でもあそこまで逃げ切れるわけがない……どうする……どうする……」
目の前には橋。橋を渡って1分で商店街には着く。
その1分間、ビルドから逃げるのは不可能。
鳩原は限界を悟り、1つの決断をする。
「仕方ない」
鳩原は橋に車が乗ったところで車を端へ端へ寄せていく。同時に運転席側の窓を開く。
これまで鳩原の異次元なハンドルテクを目の当たりにしていた目出し帽の男は鳩原を信用し、口出しせず見守る。……彼が自分を嵌めようとしているとも知らずに。
「ここだ」
鳩原は急発進・急ハンドルを駆使し、車を横転させる。車は運転席側を上にして倒れる。
「うおおおおおっっ!!!」
叫ぶ目出し帽男。
鳩原は冷静にベルトを外し、開けておいた窓から外に出る。
「え。――――て、テメェ!!?」
目出し帽男は鳩原の思惑に気づくがもう遅い。
「後はご自身で運転してください」
倒れたタクシーを足場に柵を越え、鳩原は川に飛び込んだ。
(こんな濁った川に飛び込むことになるとは……)
鳩原は川から顔を出し、やれやれと頭を掻く。
泳いで小船の船着き場まで行く。すると、
「よう。タクシーのあんちゃん」
生意気そうな少女がポケットに手を突っ込んだまま船着き場に立っていた。
下はスカートだが、ツバメのマークのある上着を羽織っている。アレは空警の制服だ。鳩原は彼女が追ってきていた警官だったのだろうと直感する。
川から岸にいる彼女の下着(ヒナ鳥の絵がある白パン)は丸見えだったが、丸見えであることに気づいていないのか気づいている上で無視しているのか、特にリアクションはない。
「強盗犯は私の仲間が確保した。もうあんちゃんに危害が加えられることはない」
「そりゃどうも」
少女は鳩原に手を貸す。鳩原は少女の手を借りて岸に上がる。
「ありがとうございます」
「凄いドライブテクニックだったな」
「え?」
「地上でも空中でも私は負けなしだったんだ。私から逃げ切ったのはアンタが初めてだよ」
少女は機嫌良さそうに笑う。鳩原は少女の笑顔が怖くて仕方なかった。
日常が壊れる音が、ミシミシという幻聴が聞こえた。
「なぁアンタさ、ウチで一緒に働かないか?」
「……え~っと、何言ってんすか?」
少女は鳩原を指さし、
「WSPに来なよ。アンタならきっといい線いくよ。私が保証する」