#11 スパイの忘れ物
メモ・備忘録といえば忘れないように書き留めておくもの。
では逆に忘れたいことをすっかり忘れられるメモがあったら?
東西冷戦のさなか、西側の諜報機関がある画期的な発明をしたという。
***
……地下深くに隠された部屋にて。
そこは日々、西側のスパイや政治犯がはげしい追及を受けている尋問室だった。
男が椅子に縛りつけられている。
西側のスパイの容疑者であった。
憲兵が傍でムチを手に立っている。
「ハリー。いいかげん仲間の名前と居場所を吐け」
「……俺はスパイじゃない。信じてくれ……」
血を涙を流しながら満身創痍の男が言った。
すでに一週間尋問が続いている。
憲兵は焦りを感じていた。
おかしい。
決定的な証拠を掴んでここまで連行してきたはず。
まさか、潔白なのか。
いや、待て。憲兵はある噂を思い出す。
西側のとある画期的な発明。
それは、忘れたいことを書けば、記憶からその内容を消去できる黄色いメモ用紙。メメント・メモと呼ばれているとか。
敵に捕まったときに備えて、スパイは本来の名前・国籍・経歴をメメント・メモに書いておく。
そうすれば、尋問されても正体を明かすことはありえない。
そんな悪魔の発明が本当の話だとしたら?
尋問室にノックの音がひびいた。
「スミルノフ少佐。この男の自宅からこんなものが見つかりました」
上等兵がビリビリに破られた黄色い紙屑を見せた。
噂によれば、メモを見れば記憶はとりもどせる。
だが、メモを破られてしまったら、メモに書かれた情報は消えてしまうという。
そして、スパイは永遠に自分の正体を忘れてしまうのだ。
「……まさかな。捨てておけ」
「はっ」
上等兵は紙屑を持って去っていった。
***
どんよりと曇った空のもとで、男が街を歩いている。
ハリーの自宅の床下にあったメメント・メモを破り捨てた男。
「さようなら、ハリー」
スパイはコートのポケットに手をつっこんで、去っていった。
この時代、
スパイにとって本当の敵はむしろ祖国の諜報機関であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?