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#17 ヴァンパイアと梅雨【1600字】

「どう? 直りそうかい?」

 脚立の下から、心配そうに美智子が訊いてきた。

「ええ。あと少しで補修は終わりますよ。もう雨漏りはしません」

 脚立に足をかけて、屋根裏に開いた穴をチェックしながら、作業服の赤井が答えた。
 赤井は懐中電灯を消して、脚立から降りる。

「野崎さんは下で待っていてください。もう少しかかりますから」

「そんなことできないわよ。梅雨の季節に急な雨漏りで困ってたところに、タイミングよく業者さんが来てくれて助かったのよ。ありがたいわ」

 腰のまがった老婆は頭を下げた。

「いいえ。お役に立てて光栄です」

 帽子をぬいで、作業着の男は笑う。

「これ、召し上がって。休憩しましょ」

 美智子はお盆をさし出す。煎茶から湯気が立っている。
 礼を言って一口飲んだ。

 その時、牙のような犬歯がのぞいた。

「あら。赤井さんって、ずいぶん八重歯が鋭いのね」

 急いで顔をそむけて口を隠した。

「ハハハ……よく言われます。子供の頃からこうなんです」

 ……危ない危ない。

 しかし、ここまでは、計画通り。

 赤井恭介が事前に調べた通り、この野崎家は、日中老婆が一人だけで暮らしている。

 リノベーション業者に扮した赤井が、以前、この家に「無料点検」と称して入ったときに、屋根にあがって、瓦を一枚剥がしておいた。

 今日のような大雨の日にふたたび訪問して「補修」すれば修理代を巻き上げられる。

 だが、赤井の狙いはカネではない。

「そういえば、お孫さんはいま高校ですか?」

「遥はそろそろ帰ってくるんじゃないかしら」

 老婆は高校生の孫娘と二人で暮らしている。赤井のターゲットはこの娘だった。

 赤井はヴァンパイア、つまり吸血鬼である。

 現代の日本社会でヴァンパイアが生きていくのは簡単ではない。

 人間の生き血を吸うために大変な苦労をしている。

 今日のような荒天の日でなければ、日中は活動できない。

 そんな日は人出も少ないものだ。人家に押し入ろうにも、招かれなければ家にも入れない。

 そのせいで、こんなややこしい方法で人を襲わなければならないのだ。

「お孫さんのご両親はどうされているんですか?」

「10年前に交通事故で亡くなったわ。それ以来二人暮らしよ。この歳になると、一人じゃ出来ないことも増えてきたし、遥には本当に助けられてるのよ」

「いいお孫さんですね」

「本当にね。でも、病気がちでね。貧血で体調を崩すこともよくあるわ。遥が中学生のときの話よ。献血に行ったら少し血を抜かれただけで失神しちゃって。こんなに身体が弱い人は初めて見たって、献血の人も言ってたわ。遥が独り立ちするまでは、私も元気でいなくちゃって」

「へぇ……」

 作業員の男は立ち上がって、懐中電灯を点けた。

 予定では、ここで老婆を薬で眠らせて、孫娘の帰りを待つはずだった。

 そして、死なない程度に娘の血を吸わせてもらう。

「そろそろ、仕事に戻ります」

「邪魔しちゃって、ごめんなさいね」

 そのとき、玄関から声が響いた。

「ただいまー! おばあちゃん、どこー?」

「はーい。屋根裏にいまーす! 雨漏りを直してもらってるのよー!」

 赤井は帽子をかぶった。
 仕事道具を鞄につめて、脚立を抱えて立ち上がる。

「野崎さん、補修は終わりました。そろそろ帰ります」

「あら、最後に遥に会っていってちょうだい。……業者さん?」

 作業着の男の姿はすでにそこにはなかった。



 野崎家の前の坂道を、傘をさした赤井が歩いている。

 後ろから、誰かが駆け寄ってきた。

「……ハァハァ。業者さん、お金渡してなかったって」

 息を切らしたセーラー服の女子高生が、封筒を握っている。

「あぁ、そういえば。ありがとうございます」

 封筒の中身を確認して、鞄にしまった。

「雨漏り、直していただいて、ありがとうございます」

 ぺこり、と遥が頭を下げる。

「……」

 その白い首筋に、赤井は釘付けになった。

 牙のような犬歯が、口の端から飛び出そうになる。

「では……」

 振り返ることなく、吸血鬼の男はその場から立ち去っていった。

 現代の日本社会でヴァンパイアが生きていくのは簡単ではないのだ。


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