細見和之『フランクフルト学派』第一章 要約と私見
※要約は私的な主観を含みます。より詳細を知りたい人は、ご購入ください。
〇フランクフルト学派とは何か?
・ドイツのホロコーストに代表されるナチス行為は、なぜ起こったのか?を追求、思索する学派。
→ドイツというとブラームスやベートーベンにおける芸術の至高性、文化の高さを思い浮かべるが、ではなぜこのような美しさを持った国から、ナチスのような行為が生まれたのか?といった思索が、フランクフルト学派の「原点」である。
〇フランクフルト学派の代表的な人物
アドルノ、ホルクハイマー、ベンヤミン、エーリッヒ・フロムなど。
〇フランクフルト学派がいつ、どこで活動したのか?
→フランクフルト学派の一つの活動の場として「社会研究所」が設立された。ドイツのフランクフルト、設立年は1923年。
〇ホルクハイマーとは何を考えた人なのか?
ホルクハイマーという人は、
一、個人の内面の発達
二、社会の経済生活
三、文化の領域の変化
が密接に関連付けられているのではないか、ということを考えた人である。
例えば、マルクスは(マルクスが何をした人なのか?ということを考える一つの説明として)「個人の内面の発達とは無関係に歴史の運動法則は展開されていく。その運動を資本の動きから追求しようとした人」であると説明できるが、ホルクハイマーは、そうではなくて、社会が変化すれば、個人の性格や本性もまた、変化するんだ。ということを考えた。
(私見)「個人の内面の発達」と「歴史の運動法則」つまりは「社会の運動」は無関係であり、資本主義下においてはそれは「お金の流れ」に集約されるものではあるが、こういったものが「個人の発達」とは無関係に展開されていく、というのを見て、「個人の発達」と「社会の運動」の差って、人によってはめちゃくちゃあるんじゃないかと思いました。しかも後者は人によっては長年関わり、また参画せざるを得ない、半ば「巻き込まれ」にも似た強制的な側面もあるよな、と思いました。
これら人間と社会の考え方において、比較論。違い。
「人間の本性は歴史の運動にかかわらず、不変。」(マルクス、ホッブズ)
これに対して、「いや、それは違うやろ」といったのがホルクハイマーである。ホルクハイマーの考え方では「人間の本性は社会の変化によって、これもまた変容する」といった、人間の本性と社会の在り方は密接に関連していると考えたのがホルクハイマーである。
〇比較論
「人間の本性は歴史の運動にかかわらず、不変。」(マルクス、ホッブズ)
「人間の本性は社会の変化によって、これもまた変容する」(ホルクハイマー)
今回はここまで。