United England サウスゲート監督がイングランドに遺したもの 後編
アシュワースが作るEngland DNA
選手として芽が出なかったダン・アシュワースは体育教師をしながら育成に関わる仕事に就いていた。
ピーターボロユナイテッド、ケンブリッジ・ユナイテッドでアカデミーの責任者をしていたアシュワースに転機が訪れたのは2007年。
2004年からユースチームのアシスタントとして所属していたウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンに実力を評価され、チーム全体のテクニカルディレクターに就任したのであった。ウェストブロムは2007−8シーズンには二部所属ながらFA杯準決勝進出、同年二部を優勝しプレミアリーグ昇格を果たす等輝かしい成績を収めた。
時を同じくしてFAは2012年セントジョージズパークを建設。サッカー専用のナショナルトレーニングセンターの”箱”を作ったFAは育成をよく理解しその陣頭指揮を取れる人材を探しており、白羽の矢が立ったのが育成のバックグラウンドを持ちテクニカルディレクターとしてクラブの競技面の運営経験を持つアシュワースであった。
2012年にFAの”Director of Elite Development”の役職に就任したアシュワースは”England DNA”と呼ばれる国家単位の強化指針の策定に着手。
イングランドのアイデンティティ、プレースタイル、育成、指導、その強化の5つからなる指針の下、イングランドは育成年代を筆頭に結果を出し始める。
2012年から2018年までの在籍期間にイングランドはU-17W杯、U-19EURO、U-20W杯を制覇。
この時の経験により、クラブの主力としてしのぎを削る前の世代の若い選手たちが共に国際トーナメントを勝ち上がることで、A代表には無かった仲の良さが醸成され、後にこの世代の選手たちがA代表に上がってきたときには、かつての黄金世代のようなギスギスした雰囲気はなくなっていたのであった。
またアシュワースの在籍期間中である2015年のU-21 EUROでイングランド代表の指揮を取ったのがガレス・サウスゲートである。ハリー・ケインを中心としたチームは惜しくもグループステージで敗退するが、この時の経験がサウスゲートをフル代表の監督に昇格させるのであった。
アシュワースはその後2019年からブライトンのテクニカルディレクターに就任。ポッター監督の招聘やその後の三笘薫のような欧州ではまだ評価される前の選手を発掘する素晴らしいスカウトネットワークの構築に携わり、2022年にはオイルマネーで潤沢な経済力を手に入れたニューカッスル・ユナイテッドで同様のポジションに就任。その手腕はクラブ内外で高く評価され、2024年にはINEOSグループが新たにスポーツ関連の全権力を掌握したマンチェスター・ユナイテッドのテクニカルディレクターに就任したのであった。
It's coming home
タブロイド紙によるサム・アラダイス監督の突然の失脚により空席となったイングランド代表監督。このイングランドのピンチに立ち上がったのは当時U-21代表監督を務めていたガレス・サウスゲートであった。
この時のイングランド代表が直面していた課題は主に
主要選手の長所を活かさず不慣れなポジションを与える起用法
選手間の一体感の欠如
メディアのエンゲージメント不足によるバッシング
があり、さらに外部環境としてスペイン勢を筆頭に欧州のサッカー大国が”スタイル”を確立し試合の内容でも成績でも結果を残すことが比較対象となって、サッカーの母国であるイングランドの情けない現状に大きな逆風が吹いていた。
アシュワース率いる強化チームが国際大会で結果を残すチームを調査した結果を基にイングランドは
若い世代を中心としたチームの”核”を作り、国内リーグの調子に左右されないチーム作りを実行
スポーツ科学を積極的に取り入れ、チームにはスポーツ心理学の専門家を帯同
ファンのエンゲージメントを積極的に実施し一体感を醸成
を実施。
中でもスポーツ科学の応用には力を入れ、サウスゲートは90年代から呪いのようにイングランドにつきまとうPK戦の練習を強化。サウスゲート自身が90年W杯でPKをミスしイングランドを敗退に追い込んだ経験も踏まえ、選手たちにはプレッシャー環境下で冷静な意思決定が行えるようスポーツ科学に裏打ちされた論理的なトレーニングを導入した。
これらの取り組みにより、イングランド代表には変化の兆しが現れ始める。
サウスゲートが代表監督として迎えた2018年W杯では、当時プレミアリーグのトップクラブの多くが4−3−3、4−2−3−1を採用している中で3−3−2−2のシステムを採用。
前線には共にU-21を戦ったハリー・ケインがボールを受けチャンスを作り、横に並ぶスターリングがそのスピードで相手ゴールに迫る。
中盤にはヘンダーソンがバランスを取りながらアリ、リンガードに自由を与え、ウィングにはヤング、トリッピーがアップダウンを繰り返す。
最終ラインには当時必ずしもクラブチームで活躍していたとは言えないマグワイアがレギュラーとしてポジションをキープし、セットプレーから大きなチャンスを作った。
そのサッカーは必ずしも魅力的なものでは無かったが、選手が一つのチームとして一体となり、確実に勝ち進む姿は国民の心を打ち、いつしか自国開催となったEURO96で「サッカーの大きな大会が母国に帰ってくる」という意味で歌われた「It's coming home」が「サッカーのトロフィーが母国に帰ってくる」という意味に変わり、イングランド国民全体が口ずさむようになっていった。
国内の強力なサポートに支えられ、決勝トーナメント初戦で苦手なPK戦を制し、4位に勝ち進んだ。
コロナ禍の影響により1年順延となったEURO2020では3バック/4バックを相手によって使い分け、自国の聖地ウェンブリー・スタジアムで行われた決勝に進出。惜しくも敗れ2位となったが、またしてもイングランド中を「It's coming home」の大合唱が席巻したのであった。
2022年W杯では準々決勝で後に決勝に進出することになるフランスに1−2で敗戦したが、右サイドでサカがカットインし空いたスペースにヘンダーソンが中盤からオーバーロードする采配はフランスを苦しめ、ハリー・ケインのPKさえ決まっていればとフランスをあと一歩まで追い詰めた。
サウスゲート監督にとって最後の大会となったEURO2024では采配に苦しむ試合が続いたが、サウスゲートが注力してきた若い世代の抜擢の期待に答えたベリンガム、フォーデンの活躍により2大会連続となる2位で大会を終えることとなった。
1966年W杯を優勝したアルフ・ラムジー監督に次ぐ成績を残し、サウスゲート監督はイングランド代表を去ったのであった。
サウスゲートが遺したもの
2000年代から2010年代にかけてイングランドで生活していた筆者は、今での現地の友人との会話を覚えている。
その友人はリヴァプール出身のリヴァプールFCの熱狂的なサポーターでKOPにシーズンチケットを持ち世界中のアウェイゲームにもほぼ皆勤賞で参加するほどであった。
その彼にイングランド代表について聞いたとき、彼の答えはこうであった。
当時のメディアはWAGsに代表されるような選手のプライベートのゴシップに過剰な取材・報道が続いており、また当時まだまだキックアンドラッシュが戦術のメインストリームであったイングランドではそれぞれのクラブのサポーターが盲目的に「うちのクラブの選手を使えば良いんだ」というような批評も多く、チームだけでなく、報道する側、応援する側にも大きな亀裂が生まれていた。
同時期、世の中も大きく変革していった。
2010年の保守党への政権交代に端を発し、英国はEUからの離脱の議論が始まった。
単なる移民政策や経済政策といった政治的な議論には留まらないナショナリズム等が複雑に絡み合う問題の中で、国民は大きく分裂していった。
キャメロン首相辞任かわわずか2ヶ月後に代表監督に就任したサウスゲートの在任期間中、英国首相の座はメイ、ジョンソン、スナクと代わり、退任時には労働党政権が生まれスターマー首相が誕生していた。
国が目まぐるしく変わる混沌の中、サウスゲート監督は決してナショナリズムをポピュリズムに転化することなく、サッカーの応援にのみ転化し、様々なバックグラウンドを持つ選手たちが一体感を持って躍動するチームを作っていく姿は社会に大きなインパクトを与え、後に彼をモデルにした「Dear England」という舞台を生み出すほどに影響を与えた。
2018年W杯敗退後、主要メンバーとしてチームを支えたカイル・ウォーカーは次のようなツイートをしている。
この”一体感”への言及こそがサウスゲート監督がイングランドに遺したものではないだろうか。
現代サッカーの進化のスピードは恐ろしく、まとまった練習時間が取りづらい代表でさえその発展は目まぐるしい。そのような中で戦術面では一つ取り残されている印象を持たれやすいイングランド代表だが、サウスゲート監督はそれまでの選手が活躍できない起用方法、分断したロッカールーム、そしてメディアからのバッシングといった就任時の課題を見事にクリアし、育成年代から一体感を持ったチームがフル代表まで上がりそして結果を残せる道筋を遺した。
これからのイングランド代表の成長は、サウスゲートが遺した”一体感”の礎の上に築かれるだろう。
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