機能美p「まさにおっしゃる通りで。僕もそれは云いたかった」【ダンダダンは盲点を突いている】
年に1度しか逢わない人がいる。
しかも、その時に面と向かって会話する時間を計測すると多分、5分も無い。
年に5分未満しか会話しないような、乾いた関係だ。
そんな関係なのに、とある理由により毎年必ず顔を合わせ、それが多分もう10年以上の付き合いにはなる。
これで良く縁が切れないものだと思う。
インターネットは偉大だ。粘着性について右に出るものはいない発明だ。
維持する努力をせずとも、一度ついたらなんか、なかなか離れない。
まるで袖についたごはんつぶみたいな僕ら。しかも乾いている。
そんな彼と僕とを繋ぐものは、多分でんぷんではなく、コンテンツ愛だ。
年末になると、ネットを介した手の届かないモニター越しに、「感想バトルしようぜ感想バトル!」といって作品と云う名の情緒を持ち寄り、その角でお互い殴りあっている。
そんな人に誘われて、いまコレを書いています。
この記事は黒井心さん主催の「ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツを全力でオススメする Advent Calendar 2024」の7日目の記事になります。
ついでに言うと、僕の前、先日書いたコジエズさんとも年末殴りあっています。そんな仲です。
こんな知的に掘り下げた、いやももうこれは掘り上げですよ。そんな掘り上げた記事の後が自分なんかでいいのか。
そんなことを思いつつ、さてはじめよう。
なんだあれ、と神は云った。するとなんだがあった。
この世界に無数にある物語に触れる時、全ての読者が必ず目を通すものがある。それはなにか。
「第1話」だ。
何を云ってるんだこいつ、という意見は至極最もなのだが、まあ着いてきて欲しい。この記事はこの先もずっとこんななんだ。
どうか共に歩いてほしい。この道を。
で、連載における第一話というのは、そこから続く全話の中で、おそらく最も時間と労力を掛けられて創られている。僕は「バクマン。」で見たから詳しいんだ。
コンテンツに溢れたこの世界には、「一話切り」という言葉がある。
第一話の中に、最初にして最大のピークを盛ってこなければ、作品は、その世界は、読まれずに死ぬのだ。少なくとも、たった今興味を失ったその読者の前では。
読者の興味を食いつかせる為に、作者はあらゆる手を、知恵を、センスを、その時持ちうる全ての武器を使い、クソデカ最強の餌を込める。喰らえと願う。己が生み出した世界を救う為に。
第一話には、それが、その作家のエゴと魂と祈りが、さながらソーセージのようにギチギチに詰まってる。
で、僕はそう云う「第一話」を愛してやまぬ人間であり。
そう云う「第一話」を「ははーん?さてはこれはこういう路線の話だろ理解理解あるある……」とか、半可通な玄人気取りの舐めプならぬ舐め読をかます何処にでもいる一介の厄介読者であり。
そこから予想外のクソデカ展開を繰り出す、そう云う読者殺しな「第一話」に、ぶちのめされる事を、裏切られる事を、騙される事を、誰よりも何よりも望んでいる人間なのだ。
・「暗殺教室」
・「僕のヒーローアカデミア」
・「進撃の巨人」
・「Dr.STONE」
・「双亡亭滅ぶべし」
・「ドリフターズ」
・「タコピーの原罪」
etcetc…
あの衝撃を今一度。どうか。どうか。
漫画パンチドランカーは、そんな事を願いながら、日々新連載の頁をめくっている。
2021年。
そこにまたひとつ。満面の至上の笑顔で天高く、僕を吹き飛ばした、そんな作品が現れた。
その作品をこの度、語りたい。
という訳で、今日僕がオススメするコンテンツは「ダンダダン」だ。
連載開始は2021年だが、現在アニメが放映中、多分今一番アツい、押しも押されぬクソデカコンテンツを僕は推した。
アニメ化される事で再び深みにはまったので2024のコンテンツ扱いでヨシとする!!
今日はここの角を使ってみんなを殴ろうと思う。ンダの部分だ。
バトルしようぜ!! なあ! 感想バトル!!(なお勝敗方法は不明。多分最終的にその辺の河原の土手でお互いひっくり返っている)
「ダンダダン」は盲点を突いている。
話題のコンテンツなので、今更内容の説明もないとは思うけど、一応説明しておこう。
「ダンダダン」とは、霊能力者を祖母に持ち、心に高倉健の魂を持つギャル「綾瀬桃」と、幽霊否定派のオカルティスト「高倉健」が、
説明しようとするとコンフリクトエラーを起こすなこの話。
なんだかんだあって、襲いかかる妖怪とUMAと宇宙人……多分、小学校の図書館にあって何故かこれだけボロボロになるまで読まれている「世界の七不思議!」とか「宇宙人のひみつ」とかそういうを愛読していた少年の脳内の妄想を、大人になってから得た超絶画力とイカれた展開と大人の理論構築とあとやっぱり少年時代の笑いのツボを詰め込んだ、ノスタルジックネオハイパー怪奇青春コメデイだ。
この漫画の最大の特徴はミクスチャーというか、「バケモノにはバケモノぶつけんだよ」というココロオドルマッシュアップバウト。異種格闘。
作者の龍幸伸先生が「貞子vs伽椰子」が着想元の一つと明言している通り、「妖怪に侵略宇宙人ぶつけたら面白いじゃんよ」という全ての少年の妄想が形になっている。
いままで散々描かれてきた、ホラーとされるもの。
それら、怪異と宇宙人は不条理に人間を襲う。
人は不条理なもの、悲惨なもの、そういったものを見る時に、脳内からドーパミンが出るらしい。それらは幸福感とは別種の、ある種の中毒性とカタルシスがある。
「怖い物みたさ」というアレだ。
だからだろうか、多くのホラーには救いが無いし、唐突に終わる。
「でもよ……そんなの、つまんねぇじゃんよ」
とあの日の少年がつぶやいた。
「もっと……戦って、ぶん殴ってくれよ……そんな不幸で不条理なんか。そしたら、馬鹿みたいに笑えるんだ。そっちの方が、絶対面白いじゃん……!!」
そんな少年がいたかどうかはわからないけど。
そんな少年の希望に応えた漫画が、今ここにある。
そして、ダンダダンは、「怪異」や「宇宙人」「UMA」といった形在る不条理(ファンタジー)の他に、もう一つ闘っている不条理がある。
その名を「現実」。
貧困。虐待。戦乱。ヤングケアラー。etc…
それを特別問題視して描くわけではなく、傍らにある、「若者が生きる普通の世界」として書いているところに凄みがある。実際そこに深くつっこんだりはしない。安易な解決もしない。ある。そこにある、とだけ描いている。凄い思い切りだ。
割とイカれて浮かれたトンチキ展開をしているのに、「怪異」が生まれる理由としての「現実」を無視はしない、という作者のリアリスティックな部分もこの作品の持ち味だと思う。
「ダンダダン」は、これら不条理への逆襲の物語なのだ。
「襲われても」「呪われても」、勝ちに行く。
それは、正しく、この世界の誰にとっても、ヒーローの姿をしている。
それが、面白くないはず、ないじゃんよ。
さて。
「第一話」の話に戻ろう。未読の人は1話だけでも読んで欲しい。
今から一話のネタバレをするからだ。
第一話のラストで、「高倉健です」と本名を明かした次の頁で、見開き全開のあの大ゴマを見せつけられた時の感想が、冒頭のあれだ。
「なんだこれ」
僕は「高倉健」が恋に落ちる音だったラブコメを初めてみたし、たぶん全人類がそうだと思う。こいつはどえらいラブコメが来たぜ……と思った。
実際その通り、売りが「オカルト×バトル×ラブコメ」と評される本作。
ラブコメ要素も魅力の一つで、国内外問わずこのトンチキなラブコメに皆キュンキュンしているのが見て取れる。海外のリアクター(原子炉ではないほう)を見ると、ラブコメは文化を超えるのだと実感する。むっちゃみんな同じ顔して見ていた。連載前に龍先生に恋愛漫画100冊?送りつけた林士平編集は圧倒的に正しかった。あの巨人がデカルチャーといった、この文化侵略兵器は嘘ではなかったのだ。こんなトンチキなのに。
……と、ここまで踏まえた上で。
第一話を読んだ時には、この「こいつはラブコメだぜ」という巧妙な偽装に阻まれ、僕はここに仕組まれた、たぶん漫画の盲点と云える仕組みに気付いてはいなかったのだ。
今日は、それを語りたい。
第一話。
オカルンと綾瀬モモの邂逅のシーン。
クラスで紙屑を投げつけられているオカルンの前に座る綾瀬桃。
書くまでも無いことだけど。
初めてこの作品に触れた時、僕はこう思った。
「ははぁん? こいつはオタクに優しいギャルとオタク君の話だな……!」と。
多分、誰だってそうだろう。
何故なら、僕らネットに棲まう妖怪は、そういうミーム、フォーマットが世に出ると安易にそれに手を伸ばし、喰らいつき、簡単に染まり過ぎる。
たいして囓りもしない内に、味を想像して、消化した気になり、枠にはめてしまったのだ。
この「綾瀬桃」というキャラクターを。
綾瀬桃は、ギャルではない。
そのカテゴリーに留まっていていい存在ではない。
今一度、シチュエーションを咀嚼しよう。そして変換する。
なにかと暴力沙汰が多くクラスで悪い噂が絶えないが、裏で猫にミルクを5㍑ぐらいやるような男。そいつが偶然、牛乳を買いに行った帰りにチンピラに絡まれているどんくさヒロインを助ける。紛れもなくそういうシーンだ。そんでヒロインに惚れられる、そこまでが少年漫画の黄金パターンだ。なんなら異世界に置き換えてもいい。
あるだろ? いままで何度も見てきたじゃんか。
物語を好きな君達に問おう。
物語を破滅や悲しみから救い上げる、自ら考え困難を打破し、読者にカタルシスを与える存在。
「ああこいつ、かっけえな」と、読者の想いを背負い、惹きつけ、物語を牽引する存在。それを何と呼ぶ。
「主人公(ヒーロー)」だ。
物語を読み進めれば瞭然だろう。
彼女は、キャラ設計がヒーローのそれなのだ。
巧妙にギャルに偽装しているが、本質はただのヒーローだ。
(女性のヒーローをヒロインと呼ぶ場合もあるけれども)
明らかにバトルアクションおける主人公であり、物語を辿った読者なら誰もが納得する実績と結果を残しまくっている。
流石は魂に高倉健を持つ女。ジョジョ系女子。
じゃあこの作品の主人公は綾瀬桃なのか?
オカルン(オタク君)はヒロインだったのか?
……といえば、違う。
オカルン。
あいつは、読者に馬鹿ウケする「主人公」の資質を持った男。
ルフィや承太郎は持たない、もう一つの形の主人公の資質。
「成長していく、これからヒーローになっていく主人公」が、オカルンだ。
物語最大の醍醐味の一つ。駄目だった奴が頑張って成長していく物語、全世界の人間大体これを見守るのが大好物。僕もすき。
つまりこの作品は、「ヒーローとヒロイン」の2極の役割に振られた物語などではなく。
オールドタイプのヒーローである主人公(綾瀬桃)と、やがてヒーローになっていく主人公(オカルン)という、主人公の資質を持った2人の「ダブル主人公」の物語だ。
ダブル主人公。
この構造をした名作漫画といえば、僕は「からくりサーカス」の名を上げよう。メチャ強いカンフー使いの加藤鳴海と、泣き虫だった少年「才賀勝」の2人の主人公が、滅茶苦茶頑張って、最終的に駄目な大人としか云いようがない大人と闘う話だ。駄目な大人がラスボスなのに滅茶苦茶感動する。あんなに駄目なのに。
さておき。
その上で「ダブル主人公」の構造的な問題点をあげると、「対立でもしない限り、同時にそれぞれに見せ場を創る事が難しい」だろうか。展開上、どちらかを立たせれば、どちらかは引かねばならない。その時点で、片方は主人公という特殊性を失う。主人公は場を、舞台を支配していなればならない。
その不具合を解消する為に「からくりサーカス」では「からくり編」と「サーカス編」とで主人公達が離れて活躍していく。
だけど、そうするとやはり、片側に脚光が当たっている時に、もう片側は画面に映っていない。その期間が生じてしまう。
もっとスマートに、アツい魂を持つダブル主人公で、どちらも立たせたまま、同時に物語を展開する方法は無いものか。
多分これをいままで考えた人は多いはずだ。
そこで、ダンダダンは云ったよ。
「主人公同士を、恋愛(ラブコメ)させりゃあいいじゃんよ」
盲点。盲点であった。
流石は「バケモノにバケモノぶつけんだよ」漫画だ。
同じノリで「主人公には、主人公をLOVE(ぶ)つけんだよ」とかましてきた。
え……あれ……解決する……解決する……!?
片方の主人公を立てて片方を引かせる、対立させる、それすべて恋愛の方程式に組み込めば、どちらも主人公たり得る。どちらも主でいられる。スポットライトが同時に2つ存在しても、双方どちらにも目が向かう。
舞台を2人で支配できる。そもそもそれがラブコメだ。
すごい。滅茶苦茶面白い。なんだこれ。
これを盲点と思うのは僕だけかもしれないが、少なくとも今まで読んだ漫画でこれをやってきたのは無かった気がする。
「双方がバトル少年漫画の主人公の格を持つ」同士に、「ラブコメのフォーマットを偽装」させて、バトルと恋愛の双方を取り入れるという漫画は。
さあ君も読むんだ。観るんだ。なんなんだ。
この不条理に逆襲する、滅茶苦茶な物語は。
最後に。
さて、ここまで読んで頂き有り難う御座います。
この話に、「いやいや、大層にいいやがって、(他の作品名)があるじゃんよ」等々と云いたい方もおられましょう。
それがインターネット、云わずにおれぬ、それこそがここに巣くう我らネット妖怪の在りようです。わかります。
僕もなんらかの見落としや粗があることは承知しております。
その旨、この記事をシェアしてSNSで語って下さい。
そのように、僕はこの記事をつくりました。
そう、このネットの荒海を、僕は波風を立たせず生きて行く。
さて、「ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツを全力でオススメする Advent Calendar 2024」 お次の8日目の担当は……
なんと機能美pさんです。さてはて、いったい何を書いてくれるんでしょうか。
僕も知りたいです。本当に。今何時だ。