【2024年再評価】リトル・ダンサー:時代を超えて愛される名作映画の魅力と影響力
タイトルの通りです。
私見です。
つまり、マイBESTムービーなのです。
23年ぶりにスクリーンでデジタルリマスター版として再公開されると聞いて観に行きました。
泣き所が多くて困りますよね。
以下、ネタバレを含む。
炭鉱の町
ストライキ(日本では殆どない)
という設定が古めかしくイマイチぴんと来ない現代でも彼らのおかれている生活の厳しさが伝わってくる。
母親の急逝、お婆ちゃんの痴ほうの進行・徘徊。ストライキによる生活苦。社会不安。
年の離れたお兄ちゃんと同じ部屋で過ごす11歳の彼は父親、男社会、地域の過去から社会因習に囚われ、自分でしたいことが何かを考えることもなく与えられた日々を過ごす。
与えられた義務をこなす。
彼の義務は50セント。(50セント?)
その義務は亡くなったお爺ちゃんのボクシンググローブ所以の放課後ボクシングクラブだ。
ある日ひょんなことから同じ体育館をバレエ練習と合同で使用することから彼とバレエの接点が生まれる。
ストーリーの流れは自然と無理がなく、自然界の川のように蛇行しながらうねりを作っていくように、出会い、事件の発生、解決、展開、次の展開と流れていく。
その中に感動のポイントや感情の高まりのポイントがいくつかあるのだ。
23年前ボクはどちらかというとビリーの立場側で観て、どうにもならない、やりきれない、感情の持って行きようのないビリーに共感し、イライラしながらも「わかってほしい」という気持ちのどう持って行けばいいかに…。
そしてビリーはダンスがあるのが羨ましく、またビリーのダンスを応援する気持ちで一生懸命な気持ちで見ていたような気がする。
23年後の今のボクは、やはりというかオヤジ目線になっていて「仕方がないんだよ、ビリー、分かってくれよ…」という悲しい心持で観る目線になり、ビリーが結果的に自己表現してくれたことに自分のことを棚に上げ(自分じゃないけど)しっかりとダンスでもって表現してくれたことにむしろオヤジとして行動できる機会を作ってくれて感謝したいと思ってしまう自分がいた。
完全自己投入型鑑賞。w
アンタは誰やねん、的な…。w
もはや映画感想に成り立っていない。第三者目線になれない。
しっかし、ビリーの感情を抑えきれず音楽が流れ始めると踊り出すシーンはいつ観ても感動する。
ダンスとは形ではなく、リズムでなく、「電気が流れるようなモノ」なんだと。
ビリーなりの表現だが。
形はバラバラでも感情があふれ出る。
熱量が違う。
決められたことを決めたように踊ることしかできないのではなく、心の赴くままに踊るしかできない。それがビリーなのだ。
そしてそれがdanceに必要なことなのだ。
映画の中の話とは言え、才能はダンスの先生に見出されたが、本物の才能は最終的にバレエ素人と思われるオヤジにも才能があると思わすことができるのだ。また、本物の才能は同年代の友にも変な嫉妬さえ生まない。
中途半端が一番嫉妬を生む。
本物の才能を持つ人は、それ以外に余計な「欲」を持たない。←これ大事。
結局、人間の本質は早々変わらない。
昔であろうが、現代であろうが、良い映画であればその影響力はいつであっても変わらない。
23年の時を過ぎても炭鉱やイギリスの住居の環境の話を別にすれば、ストーリーの本質は変わらないのだ。