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SNSの怖さと難しさ。改めてネットリテラシーを身をもって学ぶ。

度々ネットリテラシーについて書いてきた。
今後の世の中を生き抜く上で必要不可欠な能力となるだろうからだ。ボクはこのことに対しむしろ肯定的な面でのリテラシーを頭の中に描いていた。もちろんネガディブな案件が既に世の中に存在し、そのことに警告を発しつつ。
ところが警告を発していた自分がそのドツボにハマったのだ。
何と世の中難しいもんだ。逆ギレしたいくらいだ。w
実際のこと何も逆ギレする案件ではないのだが。w
旧ツイッターからある通知が来た。以下のようなものだ。

「旧ツイッターに来たコニュニティーノートに追加したという通知」

「旧ツイッター」からきたコミュニティーノート。とは

「X」のコミュニティノートは、誤解を招く可能性のあるツイートに対し、ユーザーが協力して「役に立つノート」を追加できる機能です。

コミュニティノートを投稿しただけでは反映されず、そこに一定の評価が与えられ、十分評価されたノートだけがツイートに付随して表示されるようになります。

コミュニティノートのメリットは、デマの拡散を抑制できる点です。Xはコミュニティノートをあくまでも「背景情報を提供する機能」と位置付けていますが、「役に立つ」と評価されるノートは信頼度の高い出典が明記されている傾向があり、副次的にファクトチェックとして機能している側面があります。

birdより

一見便利で公正な機能であるかのようだが、どうも俄かに信じがたい。いや、勿論ことによっては便利になる案件もあるだろうが、この機能を逆手に使って逆の印象操作も可能なのではないだろうか。
もう疑えばキリがなく、本当に何を信じていいのか分からない状態だ。

勘繰れば、ボクに来た通知なんかは怪しい案件な情報を逆手に取り、「情報操作未熟者」の上位に立ち、逆に情報操作する手法なのかなと。
或いは、来るべき未来の訴訟なんかで使用する材料の一部の布石なのかなとか。

最初の方に書いた情報リテラシーの肯定的な面とは、何でもかんでも受け身で情報を「頂く」時代から、各人が情報を精査し、チェックする「姿勢」を持つことで、情報を流す側も早々いい加減な情報を流せないような世の中を作っていける時代に個人レベルで、そして世界レベルで作っていける機会が今はむしろあると言えると思うからだ。
政府単位で情報操作を行う時代だから、個人がしっかりしないといけないと自覚し、それぞれの情報に対し、本当かどうか向き合う姿勢と、その発信源の意図を読み取る姿勢。それがあればそれなりのチェック機能になるのでは。無論、十分ではない。

コミュニティノートのメリットとして、
1デマの拡散
2背景情報を提供する機能
3信頼度の高い出典
4ファクトチェックとして機能
1のために2があり、noteは3が付いている傾向があり、副次的に4の側面があると謳っているが、1はいい。
でも、それ以外は何とでもなる点が結局「怪しい」と究極はなるのだ。
メンドクさ。

【結論】
コミュニティノートがあっても「=正解」ではない!

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