「面接の名人」なんて「方便の名人」、じゃね?
物事何でも「ああ言や~こう言える」。
さて、自分は特段偉い人でもないが、面接をする側に何度となく立つことがある。
昔は何十人の応募枠に千人単位が応募していただいて、当日で決めなければならずそれこそ流れ作業的に面接をしたことがある。
失礼なことだ。
今現在も求人をしていて中々決まらず面接募集中(求人中)だ。
面接を数多くこなしてきて、それなりに人を見てくると、なんかチョット人の傾向が分かった気がしてくる時がある。
面接なので面接中の言葉のやり取り以外に見るポイントととして。
ちょっとした仕草、入室の前の動作、入室の際の動作、目の動き、服の着こなし、靴の脱ぎ方、試験中のペンの置き方、などなど。
あらゆることからその人の人柄を読み取ろうとこちらも工夫する。
で、結果的にそれが読みの通りの人物像だったりすることがあったり、
読みが外れたりすることがある。そんなことを繰り返してきた。
そんな中で思うのだが、ここ数年学生さんは、「面接の仕方」っていう練習をするので、上手な子はホントに上手にやり切るのだ。
通り一辺倒の質疑応答なら卒なくこなし、付け入るスキがない。合否をつけるにも否の付け所がないのだ。
ただこれは短期的な側面で見ていいことであって決して長期的、本質的にいいことではない。
合格すること=いいこと、とするなら確かにいいのだが、仕事の場合実際に職場で働くわけなので、自分の本質を胡麻化して合格しても、ある程度働き始めるとその人の資質がいやが応にも出てしまうわけで、そのうち職場とのギャップが出来上がって働くのが辛くなってしまうことがある。
一方、素を出してくれた方が採用する側としては、そういう人なんだと理解して最初から研修計画も立てられるし、周りの理解も得られる。互いにメリットはある。
ただ、これについては、応募する側にリスクを感じるのはわかる。大学なり斡旋する業者なりがコミュニケーション能力を高める必要があるだろう。
ここで声を高くして言いたいのは、大学側のやる気のなさだ。
そもそも「面接のやり方」自体をすることが本末転倒だし、ここ数年に至っては全くと言っていいほど動いていない!
「動いていない」という言葉を聞くと大学側は反発するだろうが、要は効果的に機能してないといいたいのだ。就職課の。
採用率、っていう数字がほしいわけ?
なら、その後離職率もあげるのがフェアじゃね?
大卒の子が派遣業者を頼る傾向がここ数年で目立ってきている。
馬鹿げた話だ。
こちらは就職課に案内を毎年のように送っているのに、全く機能しない就職課なんて…。
話を戻そう。
人も人生の過程において成長をして、その中で価値観の変化や考え方の変化もある。面接時のその人の人柄が本質的に変わらなくても環境によって止む無く変えられてしまうこともある。若ければなおさらである。
そんな若い頃に面接で人柄を見られたとて、その後に変化が起きたとあっても誰が非難できようか。ましてや、変化しない人なんて…。