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「侍タイムスリッパ―」は視点の意外性と時代劇愛が生んだ新時代時代劇。

オモシロいとの噂を聞きつけて観に行ってきた。
エンドロールが流れ終わり、劇場がライトアップされる頃、自然と劇場内で拍手が送られた。久しく観たことのない光景だった。
心の中で「余は満足じゃ」と呟いて家路についた。←誰?
以下ネタバレあり。


「タイムスリップ」ものの前提は科学技術の成果によるものと決まっていた。だから、現代から未来、現代から過去、未来から現代。それらのアレンジ。が定石だ。
まずそこから崩したところが喜劇要素を生み面白みとなった。ナイスアイデア。
短い単位のタイムワープものでは過去から遡るタイプは今まであったが、これほど長い単位ではボクは知らない。

喜劇要素と同時にその当事者に感情移入すると悲劇要素が加わる。
全く異なる時代に放り込まれるわけだから。

ここでフト思う。
我々は100年後にいきなり理由もなくタイムワープされたらすぐにその時代に対応できるのだろうか。
幕末の武士が現代に来てアタフタしたように、我々が100年後の世界に突然行ってアタフタすることはない、と言えるだろうか。
今後の世界の進歩は早いだろう。昔の進み方とは倍は違うかもしれない。実感で200年後の世界に放り込まれる感覚かもしれない。
対応できるのか…。
現代に来た侍を笑った我々が、今後笑われる立場にいるのかもしれない。

さて、映画に戻ろう。
ボクはこのような映画を勝手に「設定モノ」と呼んでいるが、このような「設定」を一旦受け入れて映画を観ていくと、制作者の意図がよく分かってくるような気がする。
映画製作中座の宴会での主演役のスピーチがこの制作陣の意図がよく伝わっていてよい。
構成でも現代に来た侍が戸惑いながらも生きるために必死に対応していく姿が二名重なっているのも良い。一人だけのタイムストリッパーの話だったら、このような深みは出なかったであろう。

役者さん

主演の役者さんがいい味を出し、演技が上手だからこそなお我々も引き込まれる。ここで下手な芝居をされると「設定モノ」を冷静な目で見てしまって興ざめしてしまうからとても大事なのだ。
加え、途中から映画の主役に入る役者さんの存在感が素晴らしい。と同時に主演の役者さんが引いた演技に回り、映画の主演の役者さんをより盛り立てている。この二人の演技合戦が素晴らしい。
最後の本物の刀を使っての殺陣は、流れ的に読めてしまうが、それでも緊張感ある殺陣だった。
時代劇人気を復活させたいという意気込みを感じさせてくれるお芝居だった。

今後の時代劇

時代劇人気を復活させたいという意気込みは確かに感じた。
しかし旧来依然のやり方を通して復活させたいというならそれはお門違いだろう。時代は変わっている。リアリティの定義も変わっている。
現場の定義もお客の感じ方も変わっている。
そこは見直した方がいい。
映画とテレビではお金のかけ方が違うのでセットや衣装、特殊加工などに回せる資金は限られるのは何も今に限った話ではない。でも、技術進化した今だからできる映像効果もあるはずだ。
若者の意見や海外の知見を乞うなりも(たぶんしてるだろうが)してみてもいいのだろう。

エンドロール後の自然発生的は拍手は、「よくやったゾ!」的な快哉に似た観客の言葉でもあったように思えた。
時代劇と「設定モノ」
時代劇と笑いの要素
時代劇とシリアスな時代背景と個々の物語
時代劇と真剣の迫力
全部を盛り込み、融合させ完結することができた。
可能性はまだあることを示した。

本来の時代劇ではないという輩には、現代歌舞伎を見習えと言おう。

サイン入りポスター

話はまた変わりますが、侍さんがタイムスリップした場所が映画の撮影場所だというのは一つの肝。
そんな場所がまだあるからこそそういう設定が成り立つんですよね~。
無くしてはいけません。
テーマパークみたいになっても。
皆で行きましょう。


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