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「真珠のボタン」レビュー:宇宙、海、絶滅した民族を描くチリの壮大なドキュメンタリー

映画「真珠のボタン」の概要と驚きの視聴体験


監督のこと、チリのこと、南米の歴史のこと、を詳しく知ってこの映画を観る選択をしたわけではない。
ドキュメンタリーの映画だというそれだけで選択したが、今まで観たドキュメンタリー映画とはレベルが違って愕然とした。

監督パトリシオ・グスマンと三部作の紹介


パトリシオ・グスマンはラテンアメリカを代表するドキュメンタリー映画の監督でこの映画「真珠のボタン」は、「夢の山脈」「真珠のボタン」「光のノスタルジア」の三部作によってなりたっている。チリの国土を舞台に歴史、アイデンティティ、そして過去から現代に至る政治的・社会的課題をドキュメンタリー映画「芸術」というスタイルで考察している。
彼自身の詳しい歴史はサイトを見る方がいいだろう。

【パトリシオ・グスマンのウェブサイト】

https://www.patricioguzman.com/


さて、ボクが今回観た「真珠のボタン」は三部作の2番目に当たるという中途半端なものだが、1点ものとして観ても十分な見ごたえだ。

話は宇宙から始まる

映画の冒頭、宇宙から始まる驚きの展開


映画を観始めて、内容をよく知らないボクはいつになったらキーワードの「真珠のボタン」が出てくるのだろうと、もしかしたら入るシアターを間違えたのではないかとさえ思い心配しながら観ていた。
構成、映像は素晴らしく、難しい内容にもグッと引き込まれる磁力を持ち、映像に集中し続けていたのは、卓越した技術の裏づけだろう。引き込まれている内に心配もどこかに行ってしまった。

絶滅した先住民

南米の悲しい歴史:絶滅した先住民たち

この国、地域がスペイン、欧米からの侵略の歴史を受け、先住民の壊滅的な侵略、人口減を受けていることも何となく知っていた。
ピノチェト独裁政権下の虐殺のことは何となくは知っていた。実はよく知らなかった。
この地域の悲しい歴史のことは上記のような漠然とした知識しかない。
ま、知らないも同然だ。

政治的弾圧と「真珠のボタン」の象徴性


この映画を観ながら現在紛争中のガザ地域のことを思い出さずにいられない。単純に現時点の問題解決だけで済まされない長い難しい絡み合った歴史の問題。人間の業としか言いようのない。
ガザしかり、南米は不幸の地層の層のようだ。

虐殺、政治的弾圧と言えば我々は現在の北朝鮮、或いはドイツや、大日本帝国の歴史をあげるが、世界を見渡せば酷い度合いで言えばまだまだある。
なぜ人間はこうも歴史を学ばないのであろう。

政治的弾圧を受けた人々

祖国と自由を奪われた人々の象徴として海の底で発見された「真珠のボタン」とは、証拠隠滅のため政治犯の拷問の果てに亡くなった人を海にヘリコプターで投げ込む際に浮上しないように重しとして遺体に縛り付けた電車のレールにこびりついていたものだ。数十年して調査したものの遺体は姿かたちは無くなり唯一生存者の生きていた証となったのがボタンだったのだ。

19世紀の「ジェイミー・ボタン」と南米の悲劇の始まり


いみじくも「真珠のボタン」の逸話は、19世紀「ジェイミー・ボタン」として名付けられたヤーガン族の若者がヨーロッパに連れ去られ、文化を教えられ数年後帰されたが、今度は逆に元居た母国に馴染むことができなかった。その連れ去られの際の引き換えに使われたのが「真珠のボタン」だったのだ。
たった「真珠ボタン」と引き換えに連れ去られ、人の人生を翻弄し、文化を踏みにじり、影響を与え、蹂躙する。その代償のキッカケとなったのが「真珠のボタン」であり、長年の時日が経ち、独裁政治下で犠牲になった人の捜索の結果探し当てられたのがボタンだったのだ。

南米におけるヨーロッパ人の搾取と南米の文化に対する蔑視の象徴として「真珠のボタン」は使われているが、そこから始まった悲劇の歴史は現在終わったわけではない。

「水の民」として生きた先住民たちの姿


ヤーガン族、カワスカル族、セルクナム族、マプチェ族、アルアコ族やテウェルチェ族などの先住民の内、ほぼ絶滅している先住民も多く、身体に幾何学模様のペイントを施すセルクナム族は西欧人の侵略と疫病により、20世紀初頭にほぼ絶滅したという。
先住民の中には水の民もいてカヌーで生活をしていて星を見、宇宙との対話をしている生活をしていたようだ。それが今や国土は昔と同じく海に接する部分が多くとも海から恩恵を受ける国民はおらず迷走しているよう。

侵略され、「真珠のボタン」と共に西洋文化を受け入れたが故、先住民は滅び、過去の南米の良さまで失ってしまい、人間の醜さが西洋並みに露呈されてしまった南米…。


パトリシオ・グスマンの監督としての手腕


監督の技量故、
厳しい過去と現実に真摯に向き合い、その自然の比類なき美しさの捉え方はただのドキュメンタリー映画という枠に止まらない。ドキュメンタリー映画という枠を超え、歴史芸術映画というジャンルを設けてもいいのではないだろうか。
ボクは比較的ドキュメンタリー映画を観る方だが小ぶりなドキュメンタリー映画にもそれなりの存在価値はあると思うが、構成や映像もそれなりに参考になるのではないだろうか。
と素人なりに勝手に思うのだ。
ドキュメンタリー映画監督の皆さん、蹴とばしてください。


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