映画自評:「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」をシネマート心斎橋で観てきた。ドキュメンタリー映画で涙したのは初めてかもしれない。
『帰って来たヨッパライ』の「オラは死んじまっただ~」のフレーズをアホみたいに繰り返していた子ども時代。確かにボクはバカだった。
気に入った曲の気に入ったフレーズなら家族が嫌がる程繰り返し聞いていたボクは、何とか症の疑いがあると今ならキット言われたことだろう。
でもそれほど気に入っていたんだ。
その後、ボクが成長するにつれ何とはなしにあの歌の制作者を知り、その後の活動を知ってはいたが、「知る」だけに止まっていた。
ただ興味をもって知っていた彼の活動の「点」が、この映画によっていろんな線になって、さらに面にまで広がりを見せてくれたのは大きな収穫だったと思う。
加え、彼のことを知らない他の人にもこの映画を観て彼のことを知ってほしいと思うようになった。是非多くの人の目に触れてほしい。
彼の音楽人生を時節に分けて紹介されているのだが、映画の中では明確に分けて語られているわけではない。
だから、全く彼を知らない人にとってはそこは分かり辛かった。
ドキュメンタリー映画なので、そこは感じ取れ、と言うことなのかもしれないが、美術館でも博物館でもここからここは「○○期」と言う解説があってこそ理解がしやすいじゃないかい。
ネタバレになるが、最後に彼の一番であの名曲を次の世代の人達がカバーして終わるという構成、そしてこの映画に関わった皆で大合唱するという大団円は涙する終わり方で映画として大正解だったと思う。
ところで、あの名曲、「あの素晴らしい愛をもう一度」をボクはどちらかと言うとネガティブな感じで受け止めていたが、映画ではちょっと異なるニュアンスで紹介されていたように感じた。
「二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい 愛をもう一度」
ここの歌詞及び、
曲の旋律、曲全体の郷愁を誘うような曲調、そして歌詞の底しれない儚さ。
悟りを開いたかのような儚さを感じ、
「あの素晴らしい愛をもう一度」とは言うが、それが叶うことはない、と言う虚無感をボクは感じていた。
過去の一番の思い出が美しく尊いのだろう、と。
過ぎ去ってしまったことを改めてやり直してもそれはもう別物でしかない。
そういったことを観念し、前向きに捉え生きていくしかないのだが、過去の美しい思い出は、時間が経つほど美しさを増すものだ。磨かれた宝石のように、と。
ところが、映画ではこの歌を本人が結婚式で使っていたかのような紹介をしていたように思えたし、彼の傍にいた人たちは必ずしもこの歌をネガティブに捉えているようではなかった。
感じ方はそれぞれなので、議論する必要はないだろうが。
彼が日本の音楽界に及ぼした影響力の甚大さにこの映画を通して改めて気づかされた。
そして、サディスティック・ミカ・バンドが「もし」その後継続して活動していたら、音楽界はどうなっていただろうという妄想も楽しい。
これらの気づきや発見などはやはり映画を観なければ分からない事ばかりだ。音楽に興味のある人はこの映画を観ておいた方がいいだろう。
最後に、彼の死についてこの映画では避けることなく、でも深く掘り下げることなく取り上げていた。
彼の死の謎についてまた映画ができるなら、その時は是非観に行きたいものである。
話をトノバンで終わりたいところだが、やはり思い出してしまった。
先日見たプリンスのドキュメンタリー映画のことだ。
このトノバンのように音楽家としてのドキュメンタリー映画として歌って踊っているシーンを「普通に」観たかった。