「ソーシャルエンジニアリング」という考え。見方を変えて物事をとらえてみる。
ある好奇心から「ホワイトハッカー入門」という本を読んだ。
自分のPC知識とかけ離れすぎていて読み切ってみたものの技術的には総体的に全く分からなかった。ただ関心を引かれる部分がいくつかあり、それが故途中で投げ出さずに読み切ることができたのだ。
中でも最後の方の章で「ソーシャルエンジニアリング」について書かれているところには強く関心を持った。
以上のように結果的にPC技術以前に人のマインドに関することで、どんなに技術が進歩し、それに対抗したハッカー技術、相対する技術が開発されたとて、行き着くところは人の心の問題なのだろうという。
これから色んな技術や科学の発展があり、人間の生活は進歩を遂げていくことだろうが、人の心は相変わらず変わらないままなのかもしれない。
長い歴史が経て、科学が驚くほど発展しても、
そう、戦争や人殺し、身近で言えばいじめなんかがなくならないように。
だから、改めて一周回って見方を変えて人を原始的なモノととらえ直した方がいいのかもしれない。悪い例えで言うと、詐欺師は昔から言葉だけで人を騙し生き抜いてきている。それをいい例で考えてみよう。
これからの社会は、ロボットやAIが重視されるのは間違いないことだ。だからと言って人間が排除されるというのは単純すぎる発想だと思う。人間にしかない原始的なモノの見方や動き方、それができる人がこれからの世の中を生き抜くことが出来る人ではないだろうか。
芸術やスポーツ。
そう言ったものこそこれからの価値を生むものとなるだろう。
芸術ならAIが作る?
ん?
あんなの芸術じゃね~よ。
ただの画だ。便利だから思いっきり利用してるけど。w
ん?
芸術と認められた画もあるって?
そりゃあるかもしれない。
でも、継続して人を感動させられるのかい?
奇跡の一点を書いた人を芸術家と呼ぶかい。(社交辞令を別として)
AIが作る画が素晴らしいのは間違いない。
でも、それと人が作り出すモノとの差はしっかり認識できるようになっておきたい。
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