見出し画像

『三体』が描く人類の絶望と希望|宇宙の真理を探求する壮大な物語

劉慈欣「三体」は凄いとの噂を聞いてしばし静観していたが、その噂が中々収まらず文庫本化しても勢いが収まらない様子なのでとりあえず買って積読にはしておいた。つまり、読んでいなかった。
つい最近ようやく読み終えたのでレビューなのだ。

素晴らしい!

じゃないかい。
なんなんだこの世界観。確かにSFだろうが、その歴史的背景から根拠の積み立て、スケール感、キャラクター、展開、小説要素のてんこ盛り、と海鮮丼のスペシャル版に牛丼や、親子丼を混ぜているのになぜか美味しいみたいな! (例えが下手!)
読み終わり後間近に分かったがまだ後2冊分あるという…。
とても美味しいですが、もうお腹一杯ですぅ…。

司馬遼太郎、吉川英治のボックスセット、なんなら『源氏物語』だって長編小説は読んできているのだが、「三体」のこの後の続編となると素晴らしいのは分かっているし、興味はギンギンに湧くんだが読むエネルギーが出ない。
内容が濃すぎて体力が要るんよね。物理は苦手だし。
後は映画なり、何なりでまとめて観たい。

以下ネタバレあり。


上記に書いたようにいろんな要素のてんこ盛りの「三体」。
歴史的にも文革からVR、ナノテクノロジー、その他難しい科学、科学的歴史背景知識も披露されているし、SFとは思えない知識枠の幅の広さ。
ま、SFなんだから科学的知識があってもおかしくはないんだけれど、この人の場合程度がエグイ。執筆時の職業が技術者であり専門職だからこそってのがあるからだろうが、その知識を小説に生かせるのはまた別才能。
想像力に肉付けできているところが素晴らしい。

そもそもはボクは「妄想」から始まっているのではないかと邪推する。
現実社会で「妄想」と「想像」を分けるのはたやすいが、小説世界で「妄想力」と「想像力」はボクの解釈ではチョット異なると考えている。
根拠もなく自分の頭の中だけで考えている時点は「妄想」だが、それを小説なり第三者に読ませて「それはあるかもしれない…」と少しでも思わせたらそれは「想像力」になる。
科学、物理のことはともかく、文革から紅岸基地、娘を生んで村での暮らしぶりは立派な小説部門だ。

SF小説だと聞いていたのに読んでしばらくは中々それらしい展開にならないのに少し戸惑いを感じながらも筆者の巧みな語りに付いていった。
第二部になってようやくSFバージョンが始まるが、VRだったり、謎の団体だったり、事件だったりと、SFなのに事件性やなぞ解き、が加わる。

3部になり本格的なSFバージョンに入るがまたスケールが大きい。
何事も後発するものの方が先輩を見習うことができるので凌駕できるのはわかるが、スケールアップするにしても壮大すぎる。
余りにも壮大だ。
そして、ボクは宇宙人側から想像力を働かせて小説を書いたのを読んだことがない。(そんな小説があったとしても)
地球人を越えた宇宙人の考え方を想像して小説を書くという作業というのはどういうことだろう。宇宙人の知り合いがいるのか?w

これから宇宙人と地球人との攻防が始まるという。
どのような知恵比べがあるのだろうか。今の流れで言うと科学的な方法をベースにするのは間違いない。そのベースの上でどちらかが均衡を破るのだろうが、ベースのハードルを高くし過ぎたのではないだろうか。w

ネットフリックス版「三体」。観たい。

ドラマでは今後見る機会があれば見てみたいと思う。
でも、ネトフリとか加入してないのよね~。これだけで加入する理由にはならないな。

最後に、劉慈欣さんという作家の素晴らしさを今作で知ることができた。
今後彼の作品を追って読み続けていくかどうかというと「?」だ。
彼はそれこそネトフリのドラマの原作とかを書く仕事をしたらどうだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!