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「結婚式しない選択肢も!2024年冠婚葬祭事情と親世代の本音」今どきの冠婚葬祭に対する肌感。

冠婚葬祭、って聞くと厳かで形ぐるしいけどやはりしなければならないし、相手によってはしっかりとしてあげたい式典というイメージ。
時代を経るにつれ形式、付き合いが優先され、一番大切な「想い」の部分が蔑ろにされてきた感は否めなかった。

結婚式の小規模化トレンド:若者の選択と親世代の本音


コロナがどうもその抑圧から解放させてくれたように感じる。
同時に以前の風習を懐かしむ人たちも多いようにも感じるがワザワザ行動に出る人は少ないのではないのだろうか。つまり、コロナ以前の冠婚葬祭の慣例に積極的に戻そうという人は。

さて、娘がどうも結婚を決めたようだ。
といっても、当分籍は入れないし、故に名前もまだ変えない。
結婚式も今はしない予定だそうだ。
今はそれが主流だそうだ。娘曰く。
ホンマか?
良かった…、ホっ。
あの手の式典は大の苦手なのだ。
テレビなどで教会で式を挙げるカップルを見る度にそこに参列する自分を想像するとゾっとしていた。
祝う気持ちはもちろんある。でも、あの形式的なセレモニーが堪らなく嫌なのだ。
勿論、娘がしたいと言えば、我慢して付き合うが。
そもそも自分が嫌いでしてないのだ。(家族間のみ)

家族葬の増加:メリットとデメリット、実際の費用相場


そう言えば、最近結婚式に「ついで参加的」な申し込みを受けなくなってきた。結婚式も小規模化して無理してかさ増し増員する必要がなくなったのだろう。変な見栄を張らなくていいことだ。
お葬式もその傾向があるような気がする。小規模化傾向。
先日参列したお葬式も家族葬でこじんまりしていたが、以前のような大人数のお葬式では、情の無い人も集まり挙句読経の最中雑談してる人がいるのとでは、式の当事者を思いやる人たちだけが集まる式典を開催する方が式典として理にかなっている。

自然葬とネット葬:葬儀スタイルの選択肢


ボク自身のお葬式場合、家族葬すらなし。
火葬→お家でポクポク読経→自然葬、が理想。
お家でポクポク除いても可。これは、自分のためじゃなく、残っている人のため。
友人等にはネット葬よろしくFacebookを置いておこう。
ま、当事者であるボクは死んでいるので、もうゴチャゴチャ言わないで残っている人で好きなようにしてもらった方がいいかもしれない。

下世話な話だが、家族葬と聞くとこじんまりしていいかと思うが、実際式典自体はこじんまりしていたが、会館に支払った経費はこじんまりしてなくてビックリした
家族葬じゃなかったらどれだけお金がいるのだろうか…。

広告では安い値段から書いてあるのが普通だが、大体それで済むものではない。あれもこれも足して、結局プラスいくらとなっていく。広告のうたい文句、コマーシャルの手腕には気を付けないと。

地域社会における「冠」と「祭」の役割:核家族化時代の繋がり


一方、冠婚葬祭の「冠、祭」は縮小されつつある傾向も感じながらも「残そう」という気配も強く感じる。
特に子どもを持った世帯は次世代のことを強く意識するのか核家族化が進んでいるとは言いながらも各地域社会において保とうとする「冠、祭」イベント的なものとして依然必要とされているようだ。
核家族化、少子高齢化した地域社会では繫がりとしての機能も必要だろう。
悪くない。

冠婚葬祭も時代の変化に応じたあり方に付き添うのもその時代の生き方としていいのだろう。きっと。

コロナ後の冠婚葬祭:形式よりも「想い」を重視する新しい傾向

冠婚葬祭は、人口減少、少子高齢化、核家族化、地域社会の過疎化、などからゆっくりと変わりつつあったのが、コロナで大きく変わりだした。
形式主義で変えれなかったものがコロナを理由に変えれるものは変え、元通りにしたいものはその動きが常にある。
大事なのは「想い」なのではないだろうか。
迷信だから不必要、
古臭いから不必要、
ではなく、或いは、
人が沢山いた方が豪華でいい、
ではなく。
どれだけ「想い」がこもっているかで「冠婚葬祭」に取り組んでいく時代に再び来れたのではないだろうか。

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