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息子が不登校になるまで

4月の末、息子は外出先で右手を骨折しました。左手で書くのは生まれて初めてのため四苦八苦。なかなか思うように書けません。授業でも書く作業が間に合わない。

ランドセルも背負えないため、ショルダーバッグで登校、肩の負担を軽減するため教科書を置かせてもらったり、給食はスプーン可、給食当番免除など骨折を理由にさまざまな配慮を受けてきました。

医者から走ることを禁止されていたこともあり、休み時間は授業の遅れを取り戻すことが増えて本当に勉強しかしてこなかった1学期。

骨折は夏休み中に完治。夏休みからは通信教育を、学習習慣の定着と左手で書くことに慣れてもらうために始めました。2学期からは骨折を理由にされてきた配慮はなくなり、本当の意味での学校生活が始まります。

夏休み中の体力低下もあり、教科書・水筒・筆記用具を入れたランドセルを背負い歩く息子はフラフラ。

暑い中の登下校だけでも大変そうですが、毎日決められた荷物を持って頑張って通っていました。

ところが9月の2週目になると、朝布団から起きてこなくなりました。目をギュッと瞑って「学校行きたくない。休みたい。」と言うようになりました。これまでも「行きたくないな〜」と言うことは何度かありましたが『休みたい』とは言ったことがありません。

息子の様子がおかしかったので休ませました。その週は3日休みました。

息子が学校のことで話してくれたことは4つ。

「図工の時間が嫌い。考えることも、作ることも、つけるのもなにもかも嫌だ。」
→【推測】なにをどうしていいのかわからない(特性による想像力の欠如・パニック)、でんぷんのりを使いたくない(感覚過敏)

「授業のやり残しを放課にやるのが嫌。放課遊べない。」
→これは初耳だった。

「国語の気持ち書くやつができない。やりたくない。」
→【推測】単元ごとに登場人物の気持ちを想像して書いたり、登場人物へ手紙を書く項目があるので、たぶんそれのことを指してる

「学校休みたいけど休みたくない。どっちも嫌になる。けど休みたい。」
→【翻訳】休みたいが、休むと休んだ分だけプリントが溜まり、授業でやり残した分も溜まっていくので、復帰後に放課が潰れて大変になるから休みたくない。けど休みたい。行きたくない。(息子に確認した)

これまでも担任と合理的配慮について何度か相談してきましたが、合理的配慮と特別扱いの線引きがわからず悩んでいました。しかし配慮がないことで息子が不登校になるくらいならば親として出来ることはないのかと思い、担任経由でスクールカウンセラーを予約し面談しました。

結果として学校へ私が望んでいることは特別扱いなどではなく、本来学校がしなければならない合理的配慮にあたると。スクールカウンセラーからも担任へ話してみるということでした。(基本的に学校に行けるようにするための方法を考えてくれるスタンス)

しかし数日経っても担任から対応の話はありませんし、特段なにも変わりませんでした。息子の行きたくない気持ちも変わりません。そこで私は子ども教育相談ハートフレンドなごやに電話相談しました。

息子の診断、担任との相談内容と対応、スクールカウンセラーの対応、現状についてすべて話した上で、私たちが支援を受けられるところはないか、まだ私にできることはないか尋ねました。

相談員はとても親切で話をしっかり聞いてくださった上で「教頭先生に電話してください。担任に合理的配慮をお願いしているが特別扱いになるとして受け入れてもらえないことがある。この件は学校としての判断なのか確認したい。というスタンスで話してみてください。」と。

教頭先生は特別支援コーディネータの場合が多く、こういった話には関与してもらったほうがいいと。

そこで私も意を決して教頭先生に電話したところ、教頭、担任、息子、私で一度ゆっくり話しましょうということになりました。

その日たまたま夫が息子の様子が心配で有休をとっていたため、夫も引き連れ学校へ行きました。

・息子は感覚過敏があり、でんぷんのりがどうしても使いたくないので、液体のりやセロハンテープで代用させてほしい。

→問題ないです。以前でんぷんのりは指先の発達のために必要だと話しましたが、別に息子くんに使用を強制したかったわけではないので。むしろテープのりなどなんでも使いやすいものがあれば使ってもらって大丈夫です。

・休んだ時の宿題プリント類を免除してほしい。もともとアレルギーもちで咳も多く休む日もあるので、休み明けに学校へ行きたがらなくなってしまう。休んだ日に何をやったかだけわかれば自宅学習します。

→わかりました。OKです。

・授業中にやりきれなかった分を放課で対応するのをやめてほしい。放課は遊ばせてほしい。

→強制はしてない。家でやるか、いま(放課)やるか選ばせている。息子くん以外にも3人くらいやってる。嫌だったとは思わなかった。

・国語の登場人物の気持ちを考える問題は、息子の特性上どうしてもわからないことがある。宿題でもいいけれど、本人が困っていたら先生の思う正解を教えてあげてもらえないか。これはいくら時間を与えても答えられるものではないので。

→息子くんできてる時もありますけどね。もし難しそうなら、できなくてもいいということにしますね。(なんか違う…)

・息子はどうしていいかわからずパニックになると下を向いて固まってしまいます。そうなると正気ではないので、落ち着くまで指示はもちろん通りません。そのためパニックになる前に先生に助けを呼べるものを考えたい。机の横にカードを置くとか。

→わかりました。

・特別扱いをやめてほしい。でんぷんのりをテープで代用してもいいとするなら、息子だけとせず、他の子もテープがいいと言ったら許可してほしい。特別扱いにより注目を浴びることを望んでいないし、息子は人から注目を浴びることストレスを感じパニックになりやすくなります。

→わかりました。

・図工の授業は、何を作るか、どうやって作るか、どの手順で作るか、主に3つ考えなければなりません。息子はおそらく見通しが立てられずなにをどうしていいのか分からずパニックになっています。そのため図工だけ家で予習をさせてほしい。家でやり方を予習し構想だけ練って教科書に写真を貼っておけば、パニックにならず他の子と同じように取り組めます。

→わかりました…電話では伝えるのが難しいので学校へ来ていただければ授業予定をお教えします。

教頭先生を通した途端、これまで「それは息子くんだけ特別扱いになるので…」「これには指先の発達をするという目的があるので…」「これをするとズルいという子がでてくるので…」とことごとく対応を渋られていたことが、すべて対応してもらえることになった。

あなたのいうとおり対応すればご満足でしょう?と言わんばかりに。

私が捻くれているだけかもしれない。だけどずっと相談しては渋られて悩んできたことが、こうもあっさり通ると不信感すら覚えてしまう。

だってそうでしょう?「家でやるか」「放課にやるか」の二択しか選べず、やることに追われ潰れてしまった息子に「実はやらなくてもいいよ」と新たな選択肢を後出しされても、時すでに遅し。その選択肢が初めからあれば、息子は潰れなかったかもしれない。

教頭らとの面談後も、息子は登校を渋ったけれど「学校が変わったかどうか知りたいから一度見てきてくれる?」とお願いして、その週からは「1時間目だけ登校」を始めました。

行きは私と一緒に分団より前に登校し、帰りは迎えに行きました。

その頃から息子が帰宅後すぐに泥のように眠ってしまうことが増えました。普段昼寝はしないので、学校へ行くことがこの子にとって余程精神的にも肉体的にもしんどいことなんだろうなと思いました。それでも少しでも学校へ行って楽しいことを見つけてくれたらという気持ちが強く見て見ぬ振りをしていました。

いま思えば私は「明日は何時間目だけ行く〜?休んでもいいよ〜!」と明るく聞いては息子をジワジワと追い詰めていました。

1時間目だけ登校を始めて1週間経つ頃、登校中に息子が「ほんとはね、もうたくさん頑張ったからそろそろ休みたいんだ」と小さな声で顔をひきつらせながら言いました。

見たこともない表情の息子。こんな思いしてまで学校へ行く必要あるんだろうか。私が思う以上に1時間目だけでも息子にとってはしんどくて、つらかったんだなと気付きました。「ごめんね。休もう。帰ろう。」と言ってその場で切り返してそのまま帰宅しました。

その日、夫とも相談して学校をしばらく休むことを決意。このまま行っても絶対に状況は良くならない。息子は笑顔にならない。学校は辛い思いしてまで行くところではない。

いつまで休むかはわかりません。家でいっぱい休んで、元気をたくさん貯めて、息子から学校行こうかなと言うまで私は休ませることにしました。

この選択が正しいかどうかはわかりません。小学1年生で先の見通しも立てられないし、学校へ行きたいと言わないかもしれない。

学校へ行きたがらない理由も正直わかりません。これかな?と思うことはあっても、きっと理由は一つではないだろうから。いろんな小さなことの積み重ねだったり、複雑に絡み合ったものだったり、本人もわかってなかったりするかもしれないから、そこを追求するのはやめました。

息子にはこの学校が合わなかったんだと思うことにしました。でも息子には息子の良さがあって伸ばしてあげたいこともある。

いまは放デイ、訪問看護など頼れるところに頼りつつ、息子に合った学びの方法を模索しつつ社会性を育めるよう日々試行錯誤しています。

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