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楽しい記憶の消費期限

息子は大笑いしながらトランポリンを楽しんでいた。それはそれは夢中で跳んでいた。

「ずっと跳んでたい!あと1億回やりたい!」

ここへ連れてきてよかった。また来よう。そろそろ帰る時間やで。あと10分したら帰るよ。

「わかったー!」

やりたいことやりきって帰ったら、帰りの車はぐっすりだろうな。そういう日があっても良い。あと5分だよ。やりたいことやっときなよ。

「はいはーい!」

本当に楽しそうな顔が見られて親としても嬉しい限り。また必ず来ような。あと1分だでな。

「あと60秒ねー!」

終わりへのカウントダウンが近づいてきた。何が1番楽しかったかあとで聞いてみよう。さあ帰る時間だ。

「えー!まだ跳びたい。ずっと跳んでたかった。悲しい。あとこれとこれとこれとこれしたかったのに。」

決められた時間は守ろう。やり切れなかったことはまた次の機会にね。

「いまがいい!いまやりたいのに!」

うん。いまやりたいんだよね。でも時間やでね。次からはやりたいことが時間内でできるようにやれるといいね。帰るよ。

---癇癪スイッチON---
んーん!いや!いまやりたい!帰らない!

本当は穏やかに帰りたいけれど、癇癪が始まっては正気に戻すのに時間がかかる。だがここは時間制の施設。ここにいては迷惑がかかる。力ずくで脱出し、車へ移動する。

乗車後の息子は「悲しい。もっと遊びたかった。全然楽しくない。」と泣いている。次も必ず来ようと話しても、いまの息子には届かない。なぜなら彼にとって『いま』やりたかったことを『いつか』にされても嬉しくないから。

帰宅後も悲しい気持ちを引きずっている。あんなに楽しかった時間を過ごしていたのに。気持ちが切り替えられない。

夕食後、少し気持ちが穏やかになり普段の息子になったところで、今日は何が1番楽しかった?と聞くと「なんにも楽しいことはなかった」という。

トランポリン、楽しく跳んでいたじゃない。「もっとやりたかったのに、帰ることになったから楽しくなくなった。」と。

息子にとって楽しい感覚は、その瞬間にだけ感じるもので、辛く悲しいことは継続的に感じやすいのだろうか。それとも、楽しい記憶は悲しい記憶に上書きされてしまうんだろうか。

私は楽しかった記憶を息子にたくさん残したい。あれ楽しかったな、またやりたいな。と思い出してほしい。なにか良い方法はないかな。楽しかった出来事を写真に残しておくのも良いかもしれない。いろいろ試してみようと思う。楽しい記憶の消費期限を少しでものばしてあげたい。

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