私の理想 - 妻問婚


財産を管理するため婚姻制度 なければいかに楽しからまし

人間は自分が作ったルールに縛られているだけ。
一夫一婦制の「婚姻制度」が無かったら、一体全体どれだけ小説は書かれなかったことだろう。どれだけ、犯罪が侵されずに澄んだことだろう。

男性の考え事の大半は、今夜彼女をどうやって口説くか、どんな贈り物をするかで占められるかもしれない。なぜって、女性が生命の根源の電子を直接自然界から取り入れることができるのに対して、男性は、一方的に電子を消費するだけで女性を通してしかエネルギーを生み出すことができないからだ。これは生命質と物質の結晶に共通する現象であり、人間界のことだけではなく、宇宙全体の原則なのだ。。
だから、男性は正々堂々と好きな女性の母系大家族の門をクグルことになる。

女性たちの楽しみも、誰を選ぶのか、若い人か、同い年ぐらいの人にするか、どんなに迷うことだろう。女性は性も話も80-90になっても受け入れられる。一緒に絵や音楽を鑑賞すること、あるいは黙ってそばにいることだけで、癒される孤独もあるだろう。寂しいことも退屈することもなくなるだろう。大人の日々がわくわくするものになれば、子供たちの日々も夢多きものになるはず。

妻問婚では、命令や暴力や財産がものを言わなくなる。二人の、その日の合意だけが問題だから。母系大家族で、男性はいつも大勢に見守られるから、隠し事やわがままは通らない。子供を持つか持たないかは女性の特権で決めればよい。

カタカムナ研究所の天野先生は夫婦で子供を育てるようにとおっしゃっているけれど、私には子供を二人で育てるには無理があると思える。母系大家族で、大勢の兄弟や甥姪と一緒に、母ばかりでなく、叔母やおばあさんや、ひいおばあさんたちに守られて育てた方が間違いないような気がする。その費用は?一人幾らの平等な米シックインカムにしたらどうかしら。とにかく、暴力と命令の絶対禁止を守る限り、平和に楽しく暮らせるとおもう。


女性なら誰だって、自分が「他者をどれだけこうふくにできるか」に興味がある。男性に対してだけでなく我が子にはもちろん、友達や生活に関わるあらゆるものに対しても最大限にやさしくしてみたい。思い切り優しくしたいというのは、自分の成長する姿を見たいからだ。木々の成長は一見してその大きさで分かるけれど、人間の内面の成長を見届けるには他者と関わってみるしかない。内面の成長を見届ける手段がないために、、外面を飾り立てるしかない現代。!一夫一婦制の決まりのために成長の芽を自ら切り詰めるほかない現代。


磁石に惹かれることを「好き」と言い 自ら広げる意識を「愛」と言う

愛が外へこぼれ出そうになる。甘えてたくさん味方を作りたい。それに、なぜ愛してはいけないのか、愛されてどこが悪いのか。自然のサガをを押さえつけるには、財産管理の便宜上というだけでは納得できないし第一にもったいない。愛は無制限、無条件に「イマ」の充実を求める。ただ、「生命の完全燃焼」のために!