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仕事をいつも押し付けられている人へ

仕事の量が自分だけ多いと感じることはありませんか?
かつての私は上司や先輩から頼まれた仕事は引き受けそのうち仕事が嫌になり転職を繰り返す日々を送っていました。
ここでは押し付けられやすい人の特徴、毒親との関連、対策としてのはじめの一歩を紹介します。

仕事を押し付けられやすい人の特徴


1. 責任感が強い

責任感が強い人は、頼まれた仕事をしっかりとこなそうとするため、上司や同僚から信頼されます。周囲から頼られたり信頼されるのは社会人にとってはむしろ誇るべきことですが、他の人がやりたくない仕事を引き受けることにもなります。
世の中の仕組みは誰かがやりたくない仕事をしなければ回らないことは事実です。かといって他の人がやりたくない仕事をする必要は全くありません。

他の人のタスクをしていることは自己責任だと言われるのが社会です。

2.優しい性格

仕事を押し付けられるもう一つの理由は、断ることが苦手な性格です。

つまり優しさです。
ただ上司の圧力を感じて仕事を頼まれることがあればパワハラの一種ですが、「断ったら悪い」とか「上司の言うことは聞かないといけない」という思いから、仕事を引き受けていませんか?

私も上司から振られた仕事は絶対に引き受けないといけないと思いましたし、それが当たり前だと育ちました。
上司や同僚の負担を減らしてあげようなんかも考えていました。
今考えるとアホらしいですが。

3. 他人の感情に振り回される

他人の感情に敏感な人も、仕事を押し付けられがちです。
例えば、周囲の人が困っていたり、イライラしていると自分のことではないのに、ついつい気になってしまいませんか?

ストレスを感じているのを見ると、自分がなんとかしないとと思ってしまいがちな人は進んで余計な仕事を引き受けます。結果、自分で自分のタスクが増えることになります。

共感力や洞察力に長けていると役立つこともありますが、まずは自分の仕事を優先することが大切です。

なぜ私は断ることができなかったのか

〜毒親との関連〜


それは幼少期に毒親に育てられた経験からくるものでした。
幼少期の経験はトラウマとして残ることがあると心理学の本で読んだことがきっかけでした。

「仕事を押し付けられる人」と「毒親」という二つのテーマには、一見関連がないように思えるかもしれません。
ただし自分自身を見つめ直すと関連するものが見えてきます。

1. 自己犠牲の習慣

毒親は、自分の欲求や期待を子どもに押し付けがちです。
子供の頃の私は健気に親の期待に応えよう、不機嫌な母を目の前にしてなんとか母の機嫌を取らなくてはいけない衝動に駆られていました。

それらが子供の「当たり前」だと思っていたからです。

そんな毒親で育った子供は自己犠牲の精神が強くなり、自分の意見や感情を抑えて他人を優先する傾向が強くなります。

この習慣が大人になっても続くと、職場でも同様に他人の期待や要求に無理に応えようとし、自分の仕事をこなしながら同僚や上司の期待に応えようとします。

子供の頃に毒親に気を遣い「親」を喜ばせることが仕事だった私は、大人になってからも「上司や同僚」を喜ばせようと頑張っていたのです。

2. 承認欲求の強さ

毒親に育てられた人は、幼少期に十分な愛情や承認を得られなかったことが原因で、承認欲求が非常に強くなることがあります。

子供が頑張って「親」を喜ばせようと頑張っても毒親は、「もっと頑張れ」「そんなの自慢にならない」と批判的な態度を取ることが多いです。
私の家庭の場合は容姿をいじられることもあり、その反動で自分が稼ぐようになると外見を磨くために必死にお金を使った経験もあります。

このような環境で育つと、子どもは「他人に認められるためには完璧でなければならない」という強い信念を抱くようになります。

今思うと幼少期の「毒親」からの意地悪な言葉たちがトラウマとなりなんとか解決しよう、認めてもらおうと頑張っていました。

職場では、この承認欲求が働き、上司や同僚からの依頼を断れず、過度に仕事を引き受けることがよくあります。

3. 自身の領域が曖昧

毒親に育てられた人は、他者と自分の「領域」を区別するのが難しい場合があります。

毒親は、子どものプライバシーや感情、やりたいことを尊重せず、自分の価値観を押し付け、感情を無視し、過剰に干渉したりすることが多いです。

そのため、「自分の領域」と「他者の領域」を明確に区別することができず、他人の要求に対して応えないといけないと思い込んでしまい、仕事を引き受けることがあります。

対策としてのはじめの一歩


まず自分自身を褒めてあげましょう。


他の人から仕事を任されると言うことは自分が精一杯頑張って仕事をし成長している証拠です。
私は自分自身のルーツを探すために幼少期を思いだし、親や他人の期待に応えるために必死だったことを思い出しました。

立派な大人は「親」や「他人」の期待に応える義務もありません。

優しさと自己犠牲は違う

「親」や「他人」の期待に応える義務はないですが、自分自身に余裕(心も体も)がある時はもちろん他人を気遣い手伝ってあげたりもします。

上司からのタスクも給料をもらっている以上こなします、ただ無理はせずこなせる範囲でこなしています。

これらは「優しさ」だと思います。自身の体力と精神を削ってまで期待に応えるのは「自己犠牲」だと思います。

仕事での自己犠牲の範囲を決める


私は「自己犠牲」だなと感じる物差しがあります。(もちろんパワハラやセクハラなどは論外で人権侵害なので自己犠牲の範疇はとっくに超えています。)

仕事をする上でストレスゼロはありません、私も転職を繰り返しましたがどの職場でもストレスはつきものです。

ただ、夜寝る前に仕事のことを考えて眠れない、他人の仕事をすることで自身のプライベートの時間が確保できないなど、たとえば睡眠時間への影響、自分のプライベートに影響が出た時点で「自己犠牲」だと線引きをしたのです。

それによりライフワークバランスが改善しました。

またpart2では仕事を断ることができない対策について綴りたいと思います。

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